プロ通算11年で114勝をあげている東北楽天の則本昂大が、今季からクローザーに転向する。長きに渡って、チームの抑えを任されてきた松井裕樹がパドレスに移籍したことでお鉢が回ってきた。

 

 

<この原稿は2024年3月18日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

 この配置転換は今江敏晃新監督のクリーンヒットだ。ややピークを過ぎたとはいえ、コントロールが安定し、ここ一番で三振のとれる則本は抑えにうってつけだ。

 

 本人は松井が、クローザー1年目に記録した「33セーブに並びたい」と意気込んでいるが、彼の実力をもってすれば、十分に可能だろう。

 

 意外だったのは、彼が理想の抑えに、93年に脳腫瘍のため32歳の若さで世を去った、元広島・津田恒実の名前をあげたことだ。

 

 90年生まれの則本にとって、津田の現役時代の雄姿は記憶にないはずだ。にもかかわらず、津田を知っているのは『最後のストライク~炎のストッパー 津田恒美・愛と死を見つめた直球人生~』というドラマを少年時代に観たからだという。

 

 そう言えば、ダイナミックなフォーム、けれん味のない投げっぷりなど、則本には、在りし日の津田を彷彿とさせるものがある。

 

 津田といえば、代名詞は「真っ向勝負」。今でも語り草なのが、1986年9月24日、巨人戦(後楽園球場)での、4番・原辰徳との一騎打ちだ。

 

 津田は、巨人の原や阪神のランディ・バース、掛布雅之など球界を代表する打者に対しては、自信のあるストレート1本槍で挑んだ。

 

 この日もそうだった。血相を変えて原にストレートを投げ込んだところ、バキッという音が周辺に響き渡った。ファウルチップした際、原は左手の有鉤

骨を骨折してしまったのだ。

 

 まさに斬るか斬られるかの果たし合い。一振りで津田のストレートを仕留めにかかった原の闘争心も、また立派だった。

 

 背番号は同じ「14」。則本には“炎のストッパー”の後継者としての期待がかかる。

 


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