プロ卓球選手。
 日本でたったひとりの肩書きである。
 正式に言えばレジスタード・プロプレーヤー(認定プロ選手)。日本卓球協会が86年に競技者規定を設けて以来、初めてその適用を受けた。「日本では自分ひとりしかいないでしょう。だから使命感はありますよ。いい成績を残し、賞金を稼がなければ、後に続く人が出てこなくなる。卓球のステータスを上げるためにも、自分が頑張らなければいけない」
 きりっとした口調で、松下浩二は言った。
 プロになるきっかけは、大学4年生の時のスウェーデン遠征だった。この遠征で、松下は人生観そのものを変えられてしまう。いわゆるカルチャー・ショックである。
 松下が語る。
「スウェーデンのプロリーグでプロの選手たちと一緒に生活しプレーしたわけですが、皆、真剣に卓球に打ち込み、しかも束縛がないんです。プロっていいもんだなァ……と素直に感銘を受けました。24時間、卓球のことを考えることができる。あたり前のことがとても新鮮でした」

 世界の卓球強国のひとつであるスウェーデンには「スウェディッシュ・リーグ」というプロリーグがある。松下はファルケンベルグという人口2万人足らずの小さな町のクラブに属し、半年間にわたってスウェーデン中を転戦した。
 通算成績は30勝8敗。8割近い勝率を残し、松下はチームが2位に浮上する原動力となった。
 松下が振り返る。
「試合はホーム・アンド・アウェーのかたちで行われるわけですが、スウェーデンは卓球人気が高く、体育館に3000人、4000人の観客が詰め掛けるんです。テレビ中継もあり、勝てば地元の新聞は一面。ファルケンベルグの町では“コージ”と地元の人たちからよく声をかけられました」

 卓球の盛んなヨーロッパではプロのリーグは少しも珍しくない。ドイツのブンデス・リーガではスポンサー契約料を含め、年収1億円をこえる選手が5人も出ている。スウェーデンではバルセロナ五輪で金メダルをとった選手が、サッカーやスキー、スケートのスタープレーヤーを押しのけ、国内スポーツのMVPに輝いた。
「卓球のステータスが日本とは全然違っているんです」
 ソフトだが、少し険のある口調で松下は言った。

 帰国後、松下は単位を残したまま協和発酵という卓球の強い会社に就職した。卒業に必要な単位は会社に通いながらとった。
 濃紺のスーツに身を固め、満員電車に揺られながら大手町にある本社に出勤する日々。松下の胸中に、次第次第に自分の人生に対する疑問がふくらんでいった。
「試合に勝っても給料は社員と一緒。チャンピオンになっても待遇は変わらず。会社に何度も契約制にしてくれ、といっても聞いてもらえませんでした。卓球に打ち込む環境を変えなければ強くなることができない。2年半の間、考えるのはそのことばかりでした」
 思い余って松下は先輩や同僚に自らの気持ちを打ち明けた。返ってくる言葉は「何も無理してリスクのある世界に飛び込むことはないじゃないか」というものばかりだった。同じ卓球選手である双子の兄までが「考え直した方がいいよ」と言って反対した。

 しかし、松下の気持ちは変わらなかった。プロ契約に関して最も理解があるといわれる日産自動車にプロ転向の話を持ちかけ、昨年1月15日、晴れて契約をかわした。松下が憧れて止まなかった「24時間、卓球に使える環境」が、この日、整った。
「好きなことだけできる喜びって、何ものにも変えられないですよね」
 口元にさわやかな笑みを浮かべて松下は言った。

 卓球は見た目以上に、ハードなスポーツである。球は1秒に150回転もし、スマッシュは、ネット上では180キロを越える。
 カットマンである松下は、相手のスマッシュを辛抱強く拾い、ミスを待って攻勢に転じる。
 すなわち、防御こそ最大の攻撃――というのが松下の卓球スタイルだ。

「といって拾ってるだけじゃダメなんです。拾いながら、相手の弱点を狙い、ミスを誘う。自分の術中に相手がはまった時というのは、気持ちいいですよ。卓球の真のだいご味は21本とるプロセスにこそあるんです」
 サラリと言ってのけ、松下は続けた。
「僕は卓球選手の中では運動能力の高い方だと思っています。このスポーツだけは人に負けないし、負けたくない。だからこそ、自分の能力をとことんまで試してみたいんです」
 ウエアに隠された上半身の筋肉は、まるで軽量級のボクサーのようにシェイプされており、一分の無駄もない。とぎすまされた筋肉の躍動に、プロフェッショナルのプライドが垣間見える。

 報酬も会社員時代に比べると4、5倍にはね上がった。本人は「Jリーグの控え選手クラスですよ」と言って照れるが、大きな大会に勝てば、それなりのボーナスも用意されている。
「今は生活がかかっていますから、厳しくてもとても充実しています。健康管理ひとつとっても、ずいぶん気を使うようになりました。1年でも長くプロとして現役を続けたいものですから……」
 自らに言いきかせるように松下は言った。

 失礼を承知で、最後に「“卓球は暗い”と言われたことはありませんか?」
 と訊いてみた。
 こちらの質問をあらかじめ読んでいたのか、苦笑を浮かべて松下は言った。
「学生の頃は、遊びに行っても“卓球”という言葉は禁句でした。“何やってるの?”と訊かれて、思わず“柔道”って答えたこともありますよ。アッハッハッ」
 返ってきたセリフはドライブのよくきいたナイススマッシュだった。

<この原稿は1994年『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>
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