外国人プロレスラーが叙勲で旭日双光章を受章するのは、2017年のザ・デストロイヤー、21年のミル・マスカラスに続いて3人目だ。カナダに住むタイガー・ジェット・シン(本名ジャグジット・シン・ハンス)に吉報が届いた。

 

 サーベルをくわえてリングに上がり、リング内外で乱暴狼藉の限りを尽くした凶悪レスラーのシンが、叙勲の対象になることに違和感を覚える向きは少なくあるまい。しかし、彼には、こうした表の顔の他に、もうひとつ別の顔がある。

 

 シンが住むオンタリオ州ミルトンは、政府による移民政策の推進により近年、人口が急増している。公用語は英語とフランス語だが、インド・イラン語派の言葉を話す住民も多く2010年、その子息のためにインド系移民のシンは私財を投じてパブリックスクールを設立した。開校式にはデストロイヤーが来賓として招かれた。

 

 こうした過去の善行を知る者にとって、今回の受章は意外ではない。リング上では情け容赦ないヒールを演じながら、マスクを脱ぐと紳士に早変わりし、孤児院を支援する――。梶原一騎原作の劇画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を彷彿とさせる。

 

 そのシンは、しばしば「オレと(ライバルだった)イノキの一番の違いはどこか。イノキはビジネスで失敗したが、オレは成功したことだ」とうそぶいている、という。

 

 とはいえ、もしアントニオ猪木との出会いがなければ、シンの今はなかっただろう。1973年5月、初来日するまで、シンは日本では無名の存在だった。シンを新日本プロレスに売り込んできたのは力道山時代からプロレス界と付き合いのあった貿易商。宣材用の写真でシンはナイフを口にくわえていた。「ナイフじゃ迫力ねえな。インド系なんだろう。サーベルにしろよ」。猪木には英領インドの軍人が持つサーベルが頭にあったのかもしれない。

 

 シンは自らに与えられた“インドの凶虎”というタスクを「過剰」に演じた。サーベルの柄で、人間の急所である喉を突いた。パイプ椅子はパコーンと殴るのではなく、タテに持ち替え、しつこく喉を狙った。唯一の必殺技であるコブラクローは、単なるチョーク攻撃なのだが、これを再三繰り返すことで残忍さをアピールした。猪木が喉元から出血したシーンは、さすがに正視できなかった。

 

 シンの「過剰」に猪木は「過激」で対抗した。目には目を、とばかりに腕を折り、“国民の敵”を成敗した。猪木はシンの潜在能力を最大限引き出し、モンスターと化したヒールに立ち向かう過程で、ストロングスタイルを基軸とする自らのレスリングスタイルの脱構築にも成功した。

 

 それにしても、と思う。不器用なインド系レスラーに、サーベルをくわえさせ、稀代のヒールに仕立て上げた猪木の興行師としてのセンスには、ほとほと感心する。「天才」という以外に形容する言葉が見つからない。

 

<この原稿は24年5月1日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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