W杯のアジア3次予選、ご存知の通り、日本は最終のバーレーン戦に勝利し、グループ1位通過を決めました。6月の4試合の戦いを一言で表現するなら「岡田流が出てきた」。これに尽きるでしょう。

 それを最も強く感じたのが、アウェーのタイ戦(14日)でした。気温が30度を超える中、日本は前半から飛ばしました。激しくプレスをかけ、コンパクトにボールを奪いにいく。そして素早く攻める。岡田武史監督の目指すサッカーがはっきりと出たゲームでした。そして指揮官が意図したものを、選手たちがピッチ上でしっかり表現できていました。

 続くバーレーン戦もこのコンセプトはブレていませんでした。引き分け狙いで引き気味に臨んだ相手に対して攻撃こそ機能しませんでしたが、カウンター狙いのオマーンの攻めを早めに摘み取ることができました。約1カ月間、代表チームとして試合と練習を繰り返す中で、戦術がまとまってきた印象を受けましたね。これが2010年に向けた日本代表のベースとなるのでしょう。

 とはいえ、まだ日本は3次予選を通過したに過ぎません。本当の勝負はオーストラリアなどと同組に入った9月からの最終予選です。来年にかけて長丁場の戦いを考えると、現在のメンバーに加え、海外組も含めて新しい選手を組み合わせていくことになるでしょう。そのときに“岡田流”は徹底できるのか。岡田監督の指揮官としての腕が試されるのはこれからです。

 今回の予選では長友佑都(FC東京)、安田理大(G大阪)、内田篤人(鹿島)と若いディフェンダーが試合に出場しました。3選手ともそれぞれ持ち味は出せたと思います。彼らはまだまだ伸びしろがある選手たちです。8月の北京五輪、そして今後のリーグの試合で、ぜひ経験を生かしてほしいですね。

 中でも内田はラッキーパンチとはいえ、バーレーン戦で貴重な決勝ゴールを決めました。彼は前に出ていくスピードと精度の高いクロスが武器。得点を決める前にも彼がオーバーラップしてチャンスを何度も演出していました。その陰にはセンターバックの田中マルクス闘莉王(浦和)、中澤佑二(横浜FM)がうまくラインを押し上げる働きをみせていたことも見逃せません。さらには中盤の両サイドに入った中村俊輔(セルティック)、本田圭佑(VVV)がしっかりタメをつくり、相手が前に出られない状況をつくってくれました。内田にとっては持ち味を生かしやすい展開だったと思います。

 ただ、夏の北京五輪、秋の最終予選に向けて課題がないわけではありません。国際大会でレベルが高くなればなるほど、相手は内田の動きを研究してくるはずです。たとえば、サイドの高い位置に飛び出したときに、相手がその裏を突いてくることが考えられます。その時にどう対応するのか。攻守のバランス感覚が問われるでしょう。

 もうひとつは1対1での対応です。リーチの長い海外の選手をいかに突破させないか。テクニックはもちろんフィジカル面で更なる強化が求められます。屈強な海外のフォワードと互角に対峙できるようになれば、彼自身のプレーの幅は確実に広がります。サイドバックのみならず、ストッパーのポジションも任せられるようになるでしょう。その時こそ、スピードと対人の強さを兼ね備えたディフェンダーとして内田は日本代表になくてはならない存在になるはずです。

 それにしても攻撃の迫力不足は今回も解消されませんでした。フォワード陣から何としても得点をもぎとるという意思がプレーに見えなかったのは非常に残念です。その点では得点を決めた闘莉王や中澤のほうが、ゴールへの執念が強く感じられました。

 フォワードはまずシュートを打たなければ仕事になりません。守る側からみれば、ミドルレンジからでもどんどんシュートを打たれるほうがイヤなものです。早めに打ってくるとなるとディフェンダーは前へ出て勝負をしかけざるを得なくなります。そこでこぼれ球を狙われたり、裏を突かれたりすると、対応は一層難しくなります。

 厳しい言い方をすれば、シュートを打たないフォワード、ゴールに向かっていかないフォワードは代表にはいりません。バーレーン戦で内田の決勝弾のシーン、巻誠一郎(千葉)が猛然とゴール前に走りこみました。巻のゴールにはなりませんでしたが、あのプレーがGKのミスを生んだことは間違いありません。あのような姿勢を常にみせてもらいたいものです。そうでなければ、いつまでたっても日本の攻撃は闘莉王と中澤のヘッド頼みになってしまうでしょう。

<鹿島に大きい中田浩二の復帰>

 日本代表で明け暮れた1カ月が終わり、Jリーグが再開しました。中断期間中の大きなニュースのひとつが中田浩二の鹿島復帰です。右ひざのケガからの回復具合は気がかりですが、リーグ戦での巻き返し、ACLでの戦いにおいて大きな補強となりました。中田が1枚加わることで、小笠原満男、青木満、野沢拓也らとともに中盤でボールをため、速攻でも遅攻でも攻撃のバリエーションは広がるはずです。

 何より心強く感じたのは、彼が背番号「6」をつけてくれたこと。鹿島の背番号「6」といえば、ミスターアントラーズ本田泰人。番号の重みは中田自身がよく理解しているはずです。チームの中心としてプレーするとの強い意欲が感じられました。

 そういえば、現在、背番号「5」は誰もつけていませんね。移籍前の中田の背番号でしたが、その昔は僕が「5」番をつけていました。自分で言うのも何ですが、この「5」番はディフェンスの要としての自信と誇りが刻まれた番号だと思っています。「背番号5でプレーしたい」。そう名乗りを上げる若いディフェンダーがぜひ出てきてほしいと願っています。

 予選が免除されていたナビスコ杯の決勝トーナメントもスタートし、鹿島にとって、この夏は過酷な日程が待っています。リーグ戦が中断した1カ月間、鹿島は走りこみを行い、いいトレーニングができました。その成果がどう出るか。新しいエンジン(中田浩)を搭載し、排気量(体力)がアップした“アントラーズ号”の走りっぷりが楽しみです。


● 大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://business2.plala.or.jp/kheights/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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