「この人は右に曲がるのか、それとも左に曲がるのか。最初のうちはわからなかったのですが何度もやっているうちにピタッと当たるようになってきた。コツを心得ると意外に簡単で、歩き出す前、爪先がちょっと左を向いたり、首がパッと右に向いたりするんです。
これを始めてから、不思議なことにバッターのクセや狙い球がわかるようになってきました。バットのグリップを半分にして持ったり、ほんの少しオープン気味で構えているのを見るだけで、どういうコースを待っているか、どういうボールを待っているか判読できるようになったんです。
また、バッターの変化がわかる時というのは自分自身の調子もいいんです。考える前に感じること、いや感じる前に観察すること、若菜さんにはすべて教わりました」
冗談めかして若菜はいう。
「アイツとオレの関係はね、卵から生まれたヒヨコが初めて見た鳥を親鳥と思うのと、一緒なんです。親鳥にすれば全く色のついていない子だから、これくらいやりやすいものはなかった。育てたというより、むしろオレの方が助けられたんですよ」
マンツーマンで諭すように教育する若菜には球団内部から批判も出た。いわく、厳しさが足りない。いわく、城島ひとりをかわいがり過ぎる―――。
それに対する若菜の考えはこうだ。
「実はね、オレはこわかったんです。あれだけ素質のある子が、まわりから批判を受けることで、キャッチャーというポジションが嫌いになるんじゃないかと・・・・・・。
だからオレがアイツの代わりになって監督に怒られてもいいから、アイツだけは守ってやりたかった。アイツにキャッチャーというポジションに対する興味を失わせたくなかったんです。キャッチャーはいいもんだ、おもしろいもんだぞということを、アイツに伝えてやりたかったんです」
日本シリーズ第2戦、序盤で相手に4点を奪われ、形勢不利と見た城島はゴメスへの内角攻めを控え、ピッチャーに外角へのボールを要求し始めた。そのゴメスが6回、ゲームを決めるタイムリー2ベースをレフト線に放った。狙われたのはリリーフした吉田修司の外角スライダーだった。
言葉は悪いが、城島は早い段階でこのゲームに見切りをつけ、既に3戦目以降に思いを巡らせていた。内角に弱点を抱えるゴメスの特徴は既に確認できている。これ以上、内角を攻めて、余計なトレーニングはさせない方がいい―――城島はそう判断したのである。
果たしてベンチの中から、若菜はこうした愛弟子のリードをどう見ていたのだろう。
「野球は考えてみれば単純なスポーツです。4回打席がまわるとして、ランナーがいない時は打たせてやってもいい。逆に絶対打たせちゃいけないのは、ここでゲームが決まるという場面です。城島はこのゲームでゴメスにエサをまいた。3戦目は永井、4戦目は星野と決まっていましたが、正直いってふたりとも工藤のようにインコースで勝負できるピッチャーじゃない。そんなピッチャーの投じる内角球を、どうすればより効果的に見せられるか。もうこの時、城島はそれを考えていたんでしょうね」
諭したり、叱ったりしながら育てたヤンチャ坊主が、やがて対話を挑んでくるようになった時、父親はひっそりと杯を乾して至福の時間を楽しむのではないか。
日本一の夜、私は澱のように沈む名古屋の赤ちょうちんで、朝まで若菜につき合わされた。
ではもうひとりの“親鳥”を紹介したい。
山村善則には忘れられない思い出がある。
「高校から入ってきて1年目の選手がヒットで出塁して悩んでいるんです。なぜだ?と聞くと“ホームランが出ないんです”と、こうですよ。求めているレベルの高さにびっくりしました」
1年目から城島のパワーは群を抜いていた。初球のストライクを必ず振りにいく積極性も身につけていた。
ただ打球にドライブがかかるクセがあり、オーバーフェンスすると思われた打球がフェンス際で失速した。18歳の城島はこれが気に入らなかった。
ある日、打球にドライブのかかるクセをなおすため、山村は約20度、左足が下がる“滑り台”を注文し、その上でバットスイングをやるという練習法を思いついた。
山村は説明する。
「入った時から、ものすごい距離を持っていました。ただバットが外回りするクセがあり、ために打球にドライブがかかっていた。これをなおすにはボールに対しバットを最短距離でぶつけるしかない。“滑り台”を使うことで右足から左足への体重移動に難がなくなり、左の脇もうまくしまるようになったのです。脇があいていてもヒットは打てるのですが打球は上には上がらない。右足から左足への体重移動とともに左のリストをキュッとしぼることで彼が望んでいたように打球が上に上がるようになったのです」
この“滑り台トレーニング”を通して、城島は何を得たのか。本人の弁を聞こう。
「左足が下がった状態で打つと、ボールに対しバットが斜めに入っていくんです。すると打球が自然に上がるようになりました。感覚的にはバットのヘッドが走り、ボールに対してギュッと入っていくというイメージ。このトレーニングを通じて、その感覚をマスターしました」
城島が師と仰ぐ王貞治の打球は、それこそインパクトの瞬間、ボールが“三日月”のようにへこんだものだ。バットのヘッドの部分がボールに食い込み、モチをついたキネのようになっていた。つまり、それだけ長い時間、ボールに全身のエネルギーを伝えることができたというわけである。
しかし“三日月”と化したボールも、いずれは“満月”すなわち元の格好に戻らなければならない。この復元力こそが飛距離を生み出す原因であり、まさしく「ボールにギュッと入る感覚」とは、その現象の体感なのだ。
シリーズ第3戦、4回、城島はランナーを1塁に置き、それまで完璧なピッチングを続けていた山本昌のシンカーを、ヒジをたたんでレフトスタンドに運び去った。事実上、試合を決める2ラン。「あれは僕にしか打てん!」自画自賛が少しも嫌味に聞こえないほど完璧なタイミングでとらえたホームランだった。
女房役―――。
プロ野球において、キャッチャーが求められる役割は常に“縁の下の力持ち”であり、太陽のように輝くことをよしとしない空気が支配する時代が長く続いた。
城島健司はこうした風潮を猛然と反駁する。
「なんでキャッチャーが打てなくてもいいんですか?いつも配球を考えている僕たちキャッチャーが相手の配球を読めないわけがないじゃないですか?今年はピッチャーで日本一になったけど、来年はバットで援護射撃しますよ」
話をしていてしみじみ思う。彼の「反骨」は世評への苛立ちに端を発するものではない。理想へのハードルを、ひとつひとつ越えていきたいという決意の表れである。
(おわり)
<この原稿は1999年12月『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>
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