会釈をしない。相手の目を見て話さない。相手が近くにいるのに、わざわざメールで用件を伝える。そんな若手社員が増えているという話を、ある企業の人事担当者から聞いた。「通信機器が発達するにつれ、人間本来が持つコミュニケーション能力は逆にどんどん劣化しているような気がする」。そうも言った。時代の風潮といえばそれまでだが、なんだか寂しくもある。

 そんな話を聞いた直後だっただけに二人の老将の振る舞いは余計に新鮮に感じられた。まずは福岡ソフトバンクの王貞治監督。8日、埼玉西武戦での体を張った猛抗議。西武の捕手・細川亨の左足が結果的に進路をふさいだことで、回りこんだ走者の明石健志の手が本塁に届かなかった。「あの映像をアメリカや韓国、台湾でも流してほしい。日本の審判があれを(走塁妨害に)取らないから選手もやるんだ。見たくないプレーだ」

 抗議シーンをビデオで確認した。激してはいたが、王監督は球審の目をきっちり見据え、諭すように説いていた。決して怒りにまかせての度を過ぎた振る舞いではない。私は思った。勝ち負けへのこだわりの前に、王監督は野球の正常化を訴えたかったのではないか。このままでは野球がダメになるとの危機感が「見たくないプレー」という言葉に凝縮されていた。相手捕手を責めたわけではない。こちらも必死なら敵も必死だ。プロ野球は奇麗事で成り立っている世界ではない。問題は審判が紛らわしいプレーをどう判断するか。王監督は若い審判にも同じ思いを共有してもらいたかったのだろう。68歳に純朴な情熱を見た。

 続いては東北楽天・野村克也監督。12日の千葉ロッテ戦で若手捕手の井野卓に約45分間の説教。されるほうも大変なら、するほうも大変だ。

 かつて野村監督は語っていた。「人間は無視、賞賛、非難の段階で試される」。あれだけ時間をかけて説教されるということは、井野は逆にそれだけ期待されているのだ。あの古田敦也もリードを叱責され、ベンチの中で宿題を忘れた小学生のように立たされたことがある。叱られた後、どう立ち直るか、どう立ち向かうか。野村監督は井野の向上心と反骨心をテストしているのである。73歳に手の込んだ愛情を見た。

<この原稿は08年7月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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