もう随分前の話だが、現役引退を表明した野茂英雄に「野球をやっていて一番うれしかったシーンは?」と聞いたことがある。メジャーリーグでの2回のノーヒッターか、はたまたドジャース時代の2回の地区優勝か、あるいは近鉄時代の思い出か……。返ってきた答えは意外なものだった。

「社会人野球の2年目(88年)ですね。都市対抗で大阪の第3代表に選ばれた。僕はその時、初めてビールかけを経験しました。新日鉄の寮の中での、こぢんまりとしたビールかけで本数にも限りがあった。だけど心の底から“これが僕の求めていたものだ”と思うことができた」。そして続けた。「実は僕にね、優勝の素晴しさを最初に教えてくれたのが新日鉄バレーボール部の田中幹保さんなんです。“おい野茂、優勝っていいもんだぞ。誰彼問わず抱き合えるんだ。たとえウマが合わないヤツとだってな。個人タイトルの喜びは自分だけのものだけど、優勝は皆で分かち合うことができる。だから絶対に優勝しろよ”ってね」

 野茂は「社会人野球があったから今の自分がある」と口ぐせのように語っていた。まさに野茂にとっての野球の故郷だ。その“望郷の念”が「NOMOベースボールクラブ」の立ち上げにつながったことは言うまでもない。<現在の私があるのも、社会人野球時代に様々な経験を積ませていただいたからであると言っても過言ではありません。これからは、私がお世話になったアマチュア野球界の発展に貢献するために全力投球していきたいと決意しています>(HPより)

 海を渡ったその年、野茂はオールスターゲームに出場した。ザ・ボールパーク・イン・アーリントンのロッカールームには祝電が積まれてあった。そのひとつが社会人野球のドンと呼ばれた故・山本英一郎氏のもの。「キミは社会人野球の誇りだ」と書かれてあった。

 都市対抗野球の表彰には橋戸賞、久慈賞など個人の名を冠したものが多い。それにならい、社会人出身者で国際舞台で活躍した選手のために「野茂賞」を創設してもいいのではないか。さしずめ今年ならカブスの福留孝介(日本生命出身)、星野ジャパンの宮本慎也(プリンスホテル出身)あたりが有力候補か。野球の国際化に尽力してきた社会人野球にふさわしい賞であると同時に現役社会人選手の励みにもなると思うが、いかがか。

<この原稿は08年7月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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