練習が終わると次々とパルマの選手が、練習場所から出てきた。フリスト・ストイチコフの姿が見えたので、手を挙げた。彼は頷くと僕たちのところにやってきた。
「ジーコは僕のことをなんて言っていたんだい?」
 ストイチコフは上機嫌だった。

(写真:イタリアの街は歩いているだけで楽しい気分になる)
 直近の94年W杯アメリカ大会でブルガリア代表が準決勝まで進んだのは、ストイチコフという決定力のある選手がいたことが大きかったとジーコは語っていた。
 実は、ストイチコフはもう少し守備に力を割くべきではないかとも言っていたのだが、それには触れないことにした。
 彼は、自分は昔から80年代のジーコのプレーには影響を受けていること、尊敬していることを嬉しそうに話した。改めて、ジーコの影響力の大きさを感じた。
 15分程度の話が終わると、「また、いつでも来てくれ」と僕の手を握って、彼はにっこりと笑った。

 その次の瞬間だ−−。
 ストイチコフが機嫌良く話しているのを見て、いい機会だと思ったのだろう。マイクを持った白人の背の高い男と、テレビカメラを持った男が彼に近づいた。マイクを向けると、ストイチコフは急に険しい顔になった。
「どけ。彼らは練習前から俺のことを待っていたんだぞ」
 彼は歩みを早めるとマイクを胸で押し、手でテレビカメラをつかむと方向を変えた。
 僕と通訳のファブリツィオは目を丸くして顔を見合わせた。

 白人の男がばつが悪そうな顔をして、英語で僕に話しかけた。
「日本からかい?」
「ええ」
「ストイチコフはブルガリアから来て苦労をしているから、外国人には優しいんだ。君が日本から来たのだから、親切にしたんだろうね。でも、僕たちも外国人なんだ。フランスから来たんだけれどね」
 男は苦笑いした。
 欧州のサッカー選手は、取材に協力的だと聞いていたが、そうでもないことが分かった。僕はストイチコフに話を聞けたことは嬉しかったが、ますますロベルト・バッジオのことが気がかりになっていた。


 僕たちは、パルマからミラノに戻り、車で、トリノへ向かった。
 今日は、ユベントスの本拠地、デッレ・アルピでACミランとユベントスの試合が行われることになっていた。スタジアムから少し離れた場所から、赤と黒、そして白と黒のユニフォームを着た人が歩いていた。
 この時点でACミランは勝ち点49で首位を走っていた。ホームのユベントスは勝ち点38で5位。ユベントスにとって、負けられない試合だった。
 ユベントスの中心選手は、ロベルト・バッジオを追い出す形となった、若き天才プレーヤー、デル・ピエーロ。その他、フランス代表のディディエ・デシャン、イタリア代表のアレッシオ・タッキナルディやジャンルカ・ビエリ、ポルトガル代表のパウロ・ソウザなどが所属していた。
(写真:試合後、取材陣に取り囲まれるデサイー)

 試合は上位同士らしい緊迫した試合だった。ロベルト・バッジオは先発出場していたが、噂されているように監督のファビオ・カペッロとのサッカーに対する考え方が違うのか、彼本来の輝きは感じられなかった。
 ACミランで光っていたのは、イベリア代表の、ジョージ・ウエアだった。彼は、圧倒的な身体的能力を持っていた。他の選手よりも遅いタイミングでジャンプをしても、間に合っていた。また、長い足を生かしたフェイントもみせ、前年度の世界最優秀選手に相応しいプレーだった。
 試合は1対1の引き分けで終わった。

「さあ、これから本番だね」
 ファブリツィオは僕に目配せした。
 試合後のミックスゾーンは人でごった返していた。
 妙に大きなつばのついた帽子を被った若い女性がマイクを持って、カメラマンと話をしていた。着替えの終わった選手たちが通ると、急に品を作り、カメラの前に引き入れた。選手の取材にはどこの国でも女性を使うものなのだ。
 背の高い、彫りの深い男が通った。仕立てのいいスーツがよく似合っていた。パオロ・マルディニだった。
 デル・ピエーロ、マルセロ・デサイーが僕の前を通り過ぎていた。

 バッジオはなかなか出てこなかった。
 もしかして、混乱を避けるために別の出口から出てしまったのか。
「ちょっとバスの方を見てくるね」
 ファブリツィオに声を掛けると、外に出た。出口には多くの人が待ちかまえていた。ACミランの選手たちが乗っているバスが止まっていた。目をこらして、バスの中を見たが、バッジオはいないようだった。

「早く、早く」
 ファブリツィオが大きな声を出して僕を呼んだ。
 バッジオが出てきたのだ。

(続く)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。08年3月11日に待望の新刊本『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)が発売された。




◎バックナンバーはこちらから