女子野球、初の世界一!
 そんなニュースが全国を駆け巡ったのは8月29日のことだ。「金メダルしかいらない」と公言して北京五輪に臨んだ男子の星野ジャパンが惨敗した直後だっただけに、その快挙は大きく伝えられた。今回で3回目を数えた女子野球ワールドカップ。松山市で行われた同大会で、ひときわ大きな声援を浴びた選手がいた。地元の女子硬式野球クラブ「マドンナ松山」から出場した大川由紀子選手だ。

(写真:世界の舞台で鋭い打撃をみせた大川)
 一度は諦めた代表入り

「ファンの声援は本当にありがたかったです。マドンナ(松山)のチームメイトも裏方でサポートしてくれて、プレッシャーを感じることなく、リラックスして大会に臨めたと思います」
 そう熱い夏を振り返ってくれた大川は徳島県出身。高校卒業後は伊予銀行のソフトボール部で主力選手として活躍した。06年のマドンナ松山の発足とともに、握るボールをソフトボールから硬球へ。現在は、徳島県内のスポーツ用品店で仕事をしながら、週末は松山に車で移動して練習に励む日々を送っている。

 実は当初、大川は日本代表のユニホームを着るとは夢にも思っていなかった。仕事との両立が難しく、代表入りを目指すレベルには体づくりができない。そう判断して、3月の代表セレクションにも参加していなかった。
「でも、5月に倉敷で合宿があるから、テスト生として参加しないかと声をかけていただいたんです。せっかくチャンスをいただけるならやってみよう。その一言が背中を押してもらえました」
 
 それからは仕事が終わると毎日、ジムに通った。職場の仲間もトレーニングを手伝ってくれた。迎えた倉敷合宿。「結果はともかく積極的に行こう」。そう心に誓って、練習に参加した。スローイングの正確さ、思い切りのいい打撃……。大川のプレーは首脳陣の目に留まった。滑り込みセーフで候補選手に追加された。

 さらに数度の合宿を経て、最終メンバー発表の日。3月のセレクションに参加した138名から選ばれた25名の候補選手は、ここで18名に絞り込まれる。晴れて代表ユニホームに袖を通すリストの中に、「背番号21、大川由紀子」の名前はしっかりと刻まれていた。
「うれしかったですね。と同時に、代表の重みも実感しました。みんな、このユニホームを目指して選考会や合宿に臨んでいましたから」

 代表の中でつかんだ手ごたえ

 高いレベルでもまれる中で、大川の技術は確実に進化していた。たとえばバッティング。長年、ソフトボールを経験していた人間にとって、硬式野球は似て非なる競技だ。用具も違えば、ピッチャーの投球の出所も異なる。硬式歴は3年目を迎えていたものの、大川はタイミングの取り方がイマイチつかめずにいた。
「それまでは足をあげるフォームでした。でも、それだと“体が上下動してバットが振り遅れてしまうからよくない”と。だから、足をあげずにしっかり引き付けて、そのまま打つ。これを徹底して練習しました」
 
 フォーム改造の成果は本番に出た。大会3日目の一次予選・台湾戦、3回表の1死1、2塁のチャンスで打席に立った大川はタイムリー2塁打を放つ。「バッティングでの迷いが吹っ切れて気持ちの余裕ができた」。翌日の2次予選・オーストラリア戦でも、2試合連続のタイムリー。会心の当たりがセンター前へ抜けていった。
「走塁でもリードのとり方に始まって、基本をしっかりと教えてくれた。当たり前のことを当たり前にできることが一番大切なんだと改めて感じました」
(写真:大会中、スタンドにかがげられた伊予銀行の横断幕)

 日本代表は野球王国・松山での大声援をバックに快進撃を続ける。五輪で星野ジャパンが敗れた韓国代表には初戦で11−0とコールド勝ち。“雪辱”を果たした。1次予選、2次予選と1つも星を落とすことなく、カナダとの決勝戦を迎えた。

 しかし、初の世界一を前にナインの動きは硬く、ミスからリードを許す。ベンチスタートだった大川は、グラウンドの選手たちの緊張をほぐそうと大声を出し続けた。
「エラーした選手に対しても、変わらず接しようと思っていました。でも、今回のチームは最初から最後までよく声が出ていました。決勝だからといって特別なことをする必要はなかったです」

 18名が一丸となり、徐々にリズムを取り戻した選手たちは、4回に一挙4点をあげて逆転に成功。続く5回に7点をあげて試合を決めた。大川は6回に代打で登場。初球を打ってサードライナーに倒れたが、そのまま守備につき、世界一の瞬間をフィールドの中で迎えた。

 次はチームで日本一を!

「下は高校生から、上は私のような30代まで年の差があっても、このチームには一体感がありました。みんな、本当に野球が大好きなんです。特に高校生の野球に対する情熱、意識の高さには刺激を受けました」
 対戦相手の外国人選手の勝利に対する執念や、パワーあふれるバットスイングも印象に残った。日本代表として世界一に輝いた今、大川はこの貴重な体験を他の選手たちに伝えたいと考えている。

「マドンナ(松山)はまだまだこれから歴史をつくっていくチーム。技術にしろ、意識にしろ、学んだことを若い選手たちに還元しないといけませんね」
 次なる目標はチームとして頂点に立つこと。マドンナ松山は8月の伊予銀行杯全日本女子硬式野球選手権大会では準々決勝で敗退した。10月11日からは全日本女子硬式クラブ野球選手権大会が千葉県市原市で開催される。「いい結果を持って帰りたい」。ストライプの代表ユニホームから、マドンナ松山の鮮やかなブルーのユニホームに着替えた大川は静かに燃えている。
(写真:マドンナ松山の顧問も務める伊予銀行・森田浩治頭取(前列左)らと記念撮影)


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