「北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みを揃えることなど不可能」。目の覚めるような正論だ。一部に「一選手が言うべきことではない」との声もあるが、誰かが言わなければならなかったことだ。イチローの男気に敬意を表したい。

 リベンジ(Revenge)という言葉を興行で用いたのは、私の知る限りにおいてはボクシング界が最初だ。モハメド・アリの時代から一部で使用され、1993年11月に行なわれたリディック・ボウとイベンダー・ホリフィールドのタイトルマッチ(WBA・IBF世界ヘビー級)では「REPEAT OR REVENGE」というタイトルがついた。リベンジはどちらかというと「個人の復讐劇」といったイメージが強く、日の丸を背負って戦う国際試合にはふさわしくない。まして国際大会は特定の個人の報復のために設けられた場ではない。

 しかも初代王者の日本代表にとって第2回大会は「ディフェンディング・チャンピオン」で臨む。当然、前回のメンバーたちはそのことに誇りを持っている。だからこそイチローはこうも言ったのだ。「WBC日本代表のユニホームを着ることが最高の栄誉であるとみんなが思える大会に自分たちで育てていく。シンプルなことなんですけどね」。注目すべきは「自分たちで育てていく」というくだりだ。WBCの価値と位置付けに関しては参加国の中でも温度差があり、サッカーW杯のような大会に育つには、まだまだ時間が必要だ。監督であれ選手であれ、大会の理念を共有し、使命感を持つ者しかWBC代表のユニホームを着る資格はない――。それがイチローの本音だろう。

「いろいろ問題はあるが、まずスタートを切らなければ何も始まらない」。第1回大会前の王貞治の言葉だ。王貞治は1990年夏、イタリアで行われたサッカーW杯を観戦している。「いつか野球もこうなればいいね」。18年前、王貞治はポツリと言った。その思いを引き継いだのがイチローだったと私は考える。齢は離れていても、二人は同志だった。

 理念と使命感を共有しないチームは単なる員数合わせの集合体に過ぎない。WBCの真のミッションとは何か。イチローの問いかけは重く、鋭い。

<この原稿は08年10月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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