幾多の名勝負を繰り広げてきたGL決戦。2008年の日本シリーズも見ごたえのある戦いだった。
 GL決戦はこれまで10度行われ、ライオンズの7勝(西鉄時代の3勝も含む)、ジャイアンツの3勝。ちなみにジャイアンツが日本シリーズで負け越しているのはライオンズだけだ。

 今回の埼玉西武の勝利で特筆すべきは巨人OB以外の指揮官が初めて宿敵を倒したという点である。渡辺久信監督は言うまでもなく西武OB。巨人のユニホームには1度も袖を通していない。

 過去のGL決戦を振り返ってみよう。1956年からの西鉄3連覇の立役者は三原脩である。「われ、いつの日か中原に覇を唱えん」。巨人を追われ、福岡へと西下した時に三原が発した一言はあまりにも有名だ。
 西鉄全盛期の主砲で三原の長女を伴侶とした中西太は、自著『西鉄ライオンズ最強の哲学』でこう書いている。<自らの都合で、野球から離れていた自分を監督に担ぎ出し、自らの都合で、チームを優勝させた監督の自分を更迭する。そういう巨人という球団に、必ず雪辱を果たす、という強い思いだった>

 三原の次は広岡達朗だ。82年、西武の監督に就任した広岡は、「管理野球」を全面に打ち出し、その年、早くも日本一を達成する。翌83年もリーグを連覇、巨人との日本シリーズは「球界の盟主の座をかけた戦い」と言われた。
 広岡も三原同様、巨人に冷遇された一人だ。川上哲治監督との間に確執があり、巨人を倒すことでプロ野球の針を動かそうというミッションを持っていた。信念の指揮官だった。

 広岡からバトンを受け継いだのがV9巨人の名捕手・森祇晶。87、90年とGL決戦を制し、獅子王朝を築き上げた。だが、94年のシリーズでは長嶋巨人の軍門に下る。東京ドームでの第6戦、オーロラビジョンに「森監督辞任」のニュースが流れた。「よりによって、こんなときに流さなくてもいいだろう」。森の唇は怒りで震えていた。

 日本プロ野球史を彩るGL決戦で遺恨の影がちらつかなかったのは今回が初めてである。それゆえか死球を巡って一触即発の場面はあったものの、振り返れば“読後感”のいいシリーズだった。GL決戦は新しい時代の幕開けを告げた。

<この原稿は08年11月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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