第1160回 新国立競技場の議論再燃……大阪万博の大屋根リング
世界最大の「公共事業」はエジプトのピラミッドだとする説がある。エジプト考古学者の吉村作治氏は<ナイル川は、1年のうち7月から10月までの約4か月間、決まって氾濫します。この間は農地も水に浸かって農業ができない。そこでその時期に、農民を集めてピラミッドをつくっていたわけです。いわば公共事業であり、失業対策なんですね>(WEBキリンビール大学)と述べている。
それにしても、今から4500年前、よくもあれだけ巨大にして精緻な王墓を造ることができたものだ。多くの謎が残る中、失業対策も兼ねた公共事業だったと聞けば、なるほどな、という気にもなる。
ピラミッドは、近世に入ってエジプト最大の観光資源となり、外貨獲得に貢献している。同国の観光産業はGDPの12%(2018年)を占めるというデータもある。古代エジプト人の知恵と労力が世界に類を見ない巨大建造物を生み出し、悠久の時を経て、末裔たちに利益を分配しているのである。
このピラミッド=公共事業論が国内で広く喧伝されたのは、国立競技場の建て替えを巡って、決定が二転三転した時だ。2012年に実施された新国立競技場の国際コンペで、採用されたのはイラク出身の建築家ザハ・ハディドさんの案だった。
しかしハディドさんの流線型のデザインは、あまりにも前衛的かつ野心的で、各方面から異論が噴出した。さらには建築費の高騰や景観の問題も浮上し、15年10月に着工予定だったものの、同年7月、安倍晋三首相(当時)の政治判断により、白紙撤回された。
ハディドさんの当初案では、開閉式の屋根が設置されることになっていた。天然芝の生育を促すために採光を確保する一方で、多額の収益が見込めるコンサートも実施できる構造になっていた。
「最初は多少コストがかかっても、世界的アーティストのコンサートができれば、早いうちに元が取れる。宇宙船のようなデザインも斬新で、東京の新名所になる」。それがピラミッド=公共事業論者の、代表的な声だった。要するに「損して得とれ」というわけだが、だからといって、経費の膨張を指をくわえて見ているわけにはいかない。そこで国論が二分した。
万博開催を9カ月後に控えた大阪でも、同じような議論が起きている。「無駄遣い」と批判が集中しているのが会場のシンボル「大屋根リング」だ。日本の伝統構法による世界最大級の木造建築物という謳い文句で、注目度も高い。
ところが閉幕後は撤去し、再活用できるのは2割にとどまるというではないか。350億円もかけながら、これはもったいない。そこまでの自信作なら、しばらく残しておいてはどうか。わずか半年の寿命ならレガシーにもならない。
<この原稿は24年7月17日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>