ドゥンガには忘れられない思い出がある。
 何年か前、ドゥンガは施設の子供たちと記念日のお祝いをするために、マクドナルドに出かけたことがあった。
 マクドナルドは、日本やアメリカ、あるいはブラジルのミドルクラス以上にとっては、大衆的な食事の代名詞である。しかし、貧しい子供たちにとって、いつもテレビのコマーシャルで見かける明るく人工的なマクドナルドは憧れの場所だった。ドゥンガはそのことを知っていたので、記念日の食事の場所に敢えて選んだのだった。

 子供たちは、めいめいにハンバーガーのセットを頼み席についた。子供たちに混じって、ドゥンガがハンバーガーを食べていると、目の前の子供がハンバーガーに手をつけていないことに気がついた。
「どうした、ハンバーガーは嫌いなのか」
 ドゥンガが尋ねると、その子は慌てて首を振った。彼は付け合わせのフライドポテトだけをゆっくりと食べていたのだ。
「折角のハンバーガーだから、家に持って帰って、兄弟と一緒に食べたいんだ」
 子供ははにかんで、下を向いた。
 周りを見ると、同じように薄紙に包まれたハンバーガーをそのままにしている子供が沢山いた。こんなに年端がいかないのに兄弟のことを気遣っているのだと、ドゥンガはしばらく言葉が出なかった。この子たちに、出来る限りのことをしてやりたいと改めて思ったのだった。
(写真:ドゥンガのマネージャーが日本から持ち込んだ折り紙を教えた。鶴を折るはずだったが、ドゥンガも苦戦。「鶴じゃなくて、トゥカーノ(オオハシ、ブラジルの鳥)になってしまったよ」と苦笑い)

 ドゥンガ財団は、貧民街だけではなく、小児がんセンターにも寄付を行っている。
 大事なのはお金を寄付するということではなくて、精神的な支えになることであるとドゥンガは言う。
 医師は医学的な支えになれる。サッカー選手というのは別の支えになることが出来る。 ドゥンガは現役時代から、小児がんセンターをしばしば訪れていた。
 小児がんに罹った子供は食欲が衰えることがある。回復のためには食事をとらなければならない。
 すると、医師はこう言った。
「今日はドゥンガが来る予定になっているけれど、ご飯を食べないと来ないかもね」
 子供たちは、憧れの存在であるドゥンガに会いたいと思い、一生懸命食べたのだという。
 小児がんの子供たちにドゥンガは「どうして僕たちのところに来るの」と尋ねられたことがある。
「君たちと友達になるだめに来ているんだよ」
 病気との闘いは孤独なものである。時に弱気になることがある。自分に声を掛けてくれた選手が出ているサッカーの試合を病室のテレビで見るときに力が湧いてくるかもしれない。そう思うことで、ドゥンガもまた励みになった。
 そうしたことこそ、アスリートができるサポートだとドゥンガは考えている。
(写真:施設の中には、パソコンが使える部屋もある)

 アスリート、特に日本ではプロ野球選手は引退すると、テレビ局の解説、あるいはコーチに就任すること、自らの職業を探すことに汲々としている印象がある。彼らは一般的な水準と比べて、かなり高額な年俸をとってきたのだが、ドゥンガのような選手はあまり聞かない。
「日本の選手は、あまり悲惨な状況にある人間のことを見たくない、目を背けているような傾向はある。ただ、実際に困っている人たち、日本はブラジルのような貧民街はないかもしれないが、小児がんの子供を見たら、何かをしたいと意識は変わるはずだろう」
 その年のクリスマス、僕は施設で撮った写真を大量にプリントアウトすることにした。できるだけ、多くの子供に自分の写真を渡してあげたいと思うと、写真は大量になった。大きな封筒に詰めてブラジルのドゥンガのところに送った。
 あれから四年が経つ――。
 ふと彼らのことを思い出すことがある。彼らがもし、あの時の写真を大切に持っていてくれれば−−僕にとってこれ以上の喜びはない。それこそ、僕にとってのクリスマスプレゼントである。

(終わり)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入る。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。08年3月11日に待望の新刊本『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)が発売された。




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