レベル上がったアジア予選での苦闘が日本男子を強くした
戦いを前に、自らの勝利を願わないアスリートはいない。と同時に、敗北の可能性に思いを馳せないアスリートもいない。戦う以上は、勝つことがあれば負けることもある。その前提を踏まえているからこそ、ときに訪れる苦すぎる敗北を、アスリートは乗り越えることができる。
阿部詩は違った。彼女に、「負けるかもしれない」という前提はなかった。己の強さに対する自信を、彼女は歴代のどんなアスリート、どんな格闘家もたどりつけなかったレベルにまで磨き上げていた。それゆえの驚天動地。青天の霹靂。過去、競技の進行を妨げるほどに号泣した選手がいなかったのは、過去、阿部詩ほどには自らが敗れる可能性を意識の中から殲滅できていた選手がいなかったから、だとわたしは思う。敗れてなお、彼女は途方もないもの、途轍もないものを見せてくれた。教えてくれた。
さて、すでに準々決勝進出を決めていた男子サッカーは、イスラエルを下して3連勝でグループ首位を決めた。5-0で勝ったパラグアイ戦を含め、どれも紙一重の内容ではあったものの、劣勢に浮足立つ場面がほとんど見られないのは心強い。準々決勝の相手がスペインとなったことで、いささか悲観的な声も聞こえてくるが、今大会のスペインはユーロやW杯のスペインとは違う。ウズベキスタンと五分五分の試合をやった彼らとは、十分以上に渡り合えるとわたしはみる。
日本男子のここまでの戦いを見て感じるのは、強敵と戦ってきた経験値の高さである。多くの選手が欧州でプレーしていること、またマリやアルゼンチン、フランスとテストマッチを組んだ協会の尽力も大きいが、理由としてはもうひとつ、アジア予選のレベルアップも挙げておきたい。
かつて、アジアの代表であるということは、ハンデでありコンプレックスだった。予選のレベルは低く、ゆえに本大会で面食らう。アジア予選と世界大会は、正直言って別物だった。
だが、その様相は明らかに変わりつつある。南米予選でブラジルを倒したパラグアイは強敵だったが、では、アジアで戦ったウズベキスタンやイラク、カタールより遥かに強かっただろうか。アジア予選での苦闘と、それによって引き出された活躍なくして、“国防”ブライアンの現在はあっただろうか。
最終的に、ウズベキスタンもイラクも、1次リーグ最下位で姿を消した。アジアのレベルが世界に追いついた、とまではまだ言えない。それでも、アジア予選で苦しい時間帯を経験したことは、今大会の日本にとっては間違いなく大きな力になっている。アジアでの戦いが世界での糧となる時代が、到来しようとしている。
読者の皆さんがこの原稿を読むころには結果が出ているなでしこについても触れておこう。ブラジル戦での谷川の超絶一撃について。
26年前、たったひとつのプレー、ひとつのゴールによってその名を世界に轟かせた青年がいた。チームは敗れたものの、以降、彼は“ワンダーボーイ”と呼ばれるようになる。谷川が決めたあのシュートに、わたしは98年W杯フランス大会でマイケル・オーウェンがアルゼンチンから奪ったものに匹敵する、あるいは超える衝撃を受けた。あの場面、あの状況で、あの一撃を決められるのは、世界でもごく限られた才能のみ。しかも、オーウェンと違い、彼女の戦いはその試合で終わらなかった。期待は、膨らむばかりである。
<この原稿は24年8月1日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>