第795回 川崎球場、何でもあり伝説
夏になると、思い出す風景がある。川崎球場名物の流しそうめんだ。
<この原稿は2024年8月12日号『週刊大衆』に掲載されたものです>
ロッテが本拠地を持たない、いわゆる“ジャーニーマン生活”に別れを告げ、川崎球場を本拠にするようになったのは1978年からだ。ロッテは91年まで、14シーズン同球場をホームとした。
400勝投手である監督の金田正一は73年に就任し、コーチスボックスで足を高く上げる“カネやんダンス”などで人気を博した。その年の入場者数94万6500人は、パ・リーグでは最多だ。翌74年はリーグ優勝、日本一を達成し、金田の監督としての評価は不動のものとなる。
ところが日本シリーズを準本拠地の仙台で開催しなかったことなどをきっかけに、徐々に人気は低下していき、優勝翌年の75年には、60万3300人とピーク時に比べ、約36%もダウンした。
川崎移転1年目の78年も、客の入りは惨々だった。49万6500人と、ついに大台を割ってしまったのだ。監督が山内一弘に変わった79年は46万7200人と、ピーク時の半分にも届かなかった。
ガラガラの外野スタンドをいいことに、ある日、流しそうめんに興じる一団が現れた。これはフジテレビ系の「プロ野球ニュース」などでも取り上げられ、大きな話題を呼んだ。
80年に横浜高のエースとして夏の甲子園優勝を果たし翌81年にドラフト1位で入団した愛甲猛の自著『球界の野良犬』(宝島文庫)に次のくだりがある。
<ある日、観客の数を数えたら98人しかいなかった。
ある日、カップルがセックスしていた。
ある日、外野で流しソーメンをしている客がいた。
ホントかよ、と思われるかもしれないが、これらはすべて実話である>
さすがに「セックス」のくだりは私もネタではないかと疑ったが、愛甲本人の詳細な説明を聞き、納得した。
今となっては懐かしの川崎劇場、いや川崎球場である。