職人から達人へ
肩を痛めながらも獲得賞金約1億1628万円で賞金ランキングの2位(14年度)。43歳で初の賞金王に輝き、今も進化を続けるゴルフの職人が定める究極の目標とは。
<この原稿はビッグコミックオリジナル2015年2月号に掲載されたものです>
プロゴルファー藤田寛之が左肩に異変を感じたのは昨年の3月である。シーズンの開幕前だ。
「まだ、その頃はちょっと痛みがあるという感じ。違和感はありましたが、ゴルフに支障をきたすほどではなかった」
シーズンがスタートしてからも痛みはひかなかった。それでも結果はついてきた。開幕3戦目のつるやオープンを制して波に乗り、8月のアールズエバーラスティングKBCオーガスタ、9月のアジアパシフィックオープン ダイヤモンドカップでも優勝を果たした。
「トレーナーに肩をほぐしてもらったりして、だましだましやってきたんですが、最後の方は肩の痛みがヒジや手首、腕にまで移ってきて……。秋口には握力が弱くなって、クラブを握るのもひと苦労するほどでした」
それでも終わってみれば、賞金ランキング2位。最終戦まで小田孔明と賞金王争いを演じた。
日本シリーズJTカップ終了後、精密検査を受け、医師から「手術の必要はない」と説明を受けた。
「あとは、どれくらい体を休ませ、肩をケアしていくか。リハビリも必要になってくるでしょう」
藤田は遅咲きのプレーヤーである。2012年、43歳にして初めて賞金王に輝いた。43歳での初賞金王は日本ゴルフ史上最年長だった。
齢を重ねてなお進化を続ける藤田。ベテランを支えるのは「技術さえあれば不安は乗り越えられる」との信念である。
ゴルファーに限らず言えることだが、スランプに陥った時、その原因をメンタル面に求めるアスリートは少なくない。もちろんメンタル面が大事なのは言うまでもないが、それ以上に大切なのは自らの技術に真摯に向き合うことである。
しみじみとした口調で藤田は語る。
「メンタルの強さとは何か。それは自分に対する自信だと思うんです。じゃあ自分に対する自信とは何か。それは自らのゴルフに対する技術の裏付けなんです。
ゴルフはひとつのミスが明暗を分ける。最終的には自らの技術に対し、絶対的な自信を持っている人が強い。
割り切って言えば、この世界で生き残っているのはゴルフのうまい人。下手だと勝てない。だから迷ったり悩んだりしても、僕は難しいことは考えない。“オマエ、下手だから勝てないんだ”と自らに言い聞かせます。では、うまくなるにはどうすればいいか。誰にも負けない技術を習得するために“自分磨き”を続けるしかない。僕はずっと、そうやってきたし、これからもそうするしかないと思っています」
元々は福岡の野球少年だった。ポジションはショート。小柄ながら軽快な動きで「掃除機」の異名をとった。
それが、なぜゴルフに?
「小学6年の時、同級生がグラウンドにゴルフクラブを持ってきた。“それ何? あぁ、ウチにもあるな”と思って、父親のクラブを持ち出して、一緒に空き地や田んぼで遊んだ。それがゴルフを始めたきっかけです」
高校時代はゴルフ場でキャディーのアルバイトをした。貯めたお金でシューズやグリップを買った。
ゴルフは独学で勉強した。杉本英世や草壁政治のレッスン書を買い、連続写真を見ながら素振りを重ねた。
そんな、ある日のことだ。家の近くの公園でクラブを振っていると、いきなり見ず知らずのオジさんが一本の線を引き、こう告げた。
「この線の左側を削っていけ!」
懐かしそうに藤田は振り返る。
「今でいうアイアンのダウンブローですよね。その頃のスパイクって鋲だったでしょう。その人は鋲をとった靴を普段履きにしていた。かなりの腕前だったんじゃないでしょうか」
ゴルフスクール全盛の今の時代にはありえない、昭和の香りのするエピソードである。
日本ジュニア選手権4位の実績が評価され、専修大学に進学。同期には丸山茂樹(日大)や桑原克典(愛知学院大)がいた。
「東の横綱が丸山で西の横綱が桑原。僕は全国区とはいっても10番くらい。彼らに太刀打ちできるような力はなかった」
藤田のネックは身長168センチという体のサイズだった。プロでやっていけるのかどうか、という不安がぬぐえなかった。
プロ転向に向け、藤田の背中を押したのが“リトル・コーノ”と呼ばれた河野高明だった。身長162センチと小柄ながら国内外で通算21勝をあげた。
「小さいけれど体にバネがある。プロでやってもおもしろいんじゃないか」
体のハンディを克服するには、自らのストロングポイントを磨くしかなかった。藤田は小技が生きるショートゲームに活路を求めた。
初勝利はプロ6年目のサントリーオープン。首位スタートで迎えた最終日、3位の尾崎将司に猛追されたものの、3打差で逃げ切った。
「今思い出しても、あれは恐い思い出です。ジャンボさん、12番から5連続バーディーで追い上げてきた。もう僕は生きた心地がしなかった。大型のダンプカーに追いかけられた軽トラがペチャンコに潰される。そんなイメージでした。だから優勝しても勝ったという思いは一切なく“やっと終わったか”とホッとした気持ちしかなかったですね」
この時、ジャンボ尾崎50歳。ベテランとはいえ、藤田はまだその年齢には達していない。この先、ゴルフを通じて、何を表現していくのか。
「まだ若い選手には負けたくない。第一線でやりたいという気持ちは当然、持っています。しかし最近、それ以上に思うのは僕のゴルフを見た人に何かを感じてもらいたいということ。究極的な目標を口にすれば、僕が球を打っている姿を見ただけで泣いている人がいる。目指すとすれば、そこでしょう」
職人から達人へ――。プロゴルファーとしての18番ホールは、まだずっと先にある。