時をかける35歳

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 角界はモンゴル力士全盛の時代を迎えている。横綱は白鵬を筆頭に3人ともモンゴル出身。彼らは、なぜ強いのか。留学生から関取となった異才が、その秘密を明かす。

 

<この原稿は2015年3月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 横綱・白鵬が“昭和の大横綱”大鵬を抜く史上最多の33度目の優勝を果たした初場所、同じモンゴル出身の時天空も9勝6敗と勝ち越した。

 

 時天空にとって幕内での勝ち越しは、実に10場所ぶり。「先場所の十両優勝が自信になり、気持ちよく相撲がとれたのがよかった」と笑顔で語った。

 

 初場所、モンゴル出身力士は白鵬を筆頭に幕内だけで11人もいた。

 

 異国の地で夢をかなえた者たちだ。そんな中、時天空の経歴は異彩を放っている。

 

 彼が来日したのは20歳の時。モンゴル国立農業大学からスポーツ交流留学生として東京農業大学に転入したのだ。卒業後は帰国し、教員になる予定だった。

 

 運命の歯車がコトンと音を立てたのは、ひとつ年下の朝青龍との再会だった。学生の相撲大会があり、両国国技館に応援に駆け付けると、見覚えのある顔が近付いてきた。

 

「おい、何でここにいるんだ?」

「実は大学で相撲をとってるんだ」

「なんだ、そうだったのか。じゃあメシでも食いに行こうか」

 

 朝青龍とはウランバートルにある柔道クラブの仲間だった。日本流に言えば、同じ釜の飯を食いながら、オリンピックを目指していた。

 

 18歳で角界に身を投じた朝青龍は、その頃、既に十両まで昇進していた。

「どうしたら体が大きくなれるか」

 

 と相談すると、錦糸町にあるプロテインの専門店を紹介してくれた。

「これ飲んで、メシをいっぱい食べると大きくなるぞ」

 

 羽振りのいい後輩が、モンゴルからの留学生にはまぶしく感じられた。

「オレもプロになって一旗揚げようか……」

 

 2002年に東農大OBの時津風(元大関・豊山)が親方を務める時津風部屋に入門した。

 

 時天空は幼少の頃からモンゴル相撲に親しんだ。モンゴル相撲は正式には「ブフ」と呼ばれる。相撲というよりレスリングに近く、地面にヒジやヒザ、背中やお尻、頭の部分が先についたら負けとなる。

 

 ブフではそれなりに鳴らした時天空だが、相撲とは勝手が違った。一番、戸惑ったのが立ち合いである。互いが組んでから始まるブフとは異なり、相撲は至近距離からぶつかる。とりわけプロの迫力は、偉丈夫をもってしても慣れるのには時間がかかった。

 

「頭から行け、と言われるんですけど、これが怖い。ちょっと(頭を)横にずらすと首に電流が走る。あれがトラウマになって、余計に頭から行けなくなった。アゴを引いて正面からぶつかると問題ないんですけど、分かっていてもなかなかそううまくはいかないものなんです」

 

 そうはいうものの、出世はとんとん拍子だった。序ノ口、序二段、三段目と3場所連続全勝優勝を果たし、十両はわずか2場所で通過した。

 

 07年春場所、初の三役となる小結に昇進した。初日、横綱・朝青龍との対戦が実現する。勝ったのは時天空だった。大阪府立体育会館に無数の座布団が舞った。

 

「あの一番はよく覚えています。土俵際で体を入れ替え、(朝青龍の)後ろについたら、指をとられ、ねじ曲げられたんです。僕を振りほどこうとしたんでしょうね。それくらい横綱も必死だった。

 結局、横綱(朝青龍)とは11回対戦しましたが、勝ったのはこの一番だけ。横綱は普段はやさしいんだけど、土俵に上がると人が変わった。そう“土俵の鬼”でしたね」

 

 朝青龍引退後、相撲界の屋台骨を支えたのは白鵬である。対戦成績は白鵬の18勝1敗。07年初場所で土をつけたが、白鵬はまだ大関。金星にはならなかった。

 

――同胞の2人の名横綱の違いは?

「動きが速いのは朝青龍関ですね。いつ張ってくるかとビビッているうちに、どんどん攻めてくる。一方の白鵬関は四つ相撲だから、また自分にもチャンスがあるような気がした。どこかで足をかけるチャンスがないかと……。だけど、やっぱり簡単には技をかけさせてもらえなかった」

 

 モンスターの異名をとる逸ノ城が幼少の頃から馬に乗ったり、水汲みをすることでバランス感覚が養われたように、時天空もモンゴルの大自然の中で鍛えられた。

 

「自分の父親はトゥブ県の出身。子供の頃、夏休みになると、家族で父の生家に行きました。マンションがたくさんあるウランバートルと違って、本当に田舎なんです。馬にも乗るし、井戸に水を汲みにも行く。井戸といっても家から1kmはある。片手に10kgだから、計20kgの水をこぼさないように運ぶ。水がなければ料理もできないから、必死で働きましたよ。

 今にしても思えば、こうした生活経験が強い下半身をつくり、バランス感覚を養う要因となったのかもしれない。昔は日本人も船に乗ったりしていたわけでしょう。名横綱の双葉山関も、そうだったと聞いたことがあります。

 モンゴルの少年は、今でも馬に乗ります。だからバランスのいい子が多い。力士もそうで朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜……。モンゴル出身の横綱は、皆、運動神経がいいですよ。一時、NHKのチームとモンゴル力士チームがよくバスケットボールの試合をしていた。モンゴルの力士は皆うまいので、NHKの人たちも驚いていましたよ」

 

 14年1月に時天空は日本国籍を、5月には年寄名跡「間垣」を取得した。

 

「いずれは自分の部屋を持って、弟子を育てる。そんな夢も持っています」

 

 幕内中位で迎える春場所、35歳はひそかに三役返り咲きを狙っている。

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