数夜にして東京都の約1.6倍の面積を焼き尽くしたというのだから尋常ではない。テレビが映し出す絵は、さながら阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
 7日夜、オーストラリア南東部ビクトリア州で森林火災が発生し、現在までに200人近い死者が出た模様。ケビン・ラッド首相は「まるで(原爆投下直後の)ヒロシマのようだ」と語った。関係筋によると放火の疑いもあるという。南半球は真夏。記録的な猛暑と乾燥した空気が火の手を拡大し、今もまだ燃え続けている。

 オーストラリアでは26年前にも「灰の水曜日」と呼ばれる大火災があった。あの時も2月、場所もメルボルン近郊。まさに悪夢の再現だ。その一方で、北東部のクイーンズランド州は大水害に見舞われている。
 サッカー日本代表と戦うために来日しているオージーたちは、地獄絵図と化した国土をどんな思いで見つめていたことだろう。

 ふと映画で観たメルボルン五輪、水球ハンガリー代表のことを思い出した。タイトルは『君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956』。ここ最近観たスポーツを題材にした映画の中では出色の作品だ。
 災害と軍事衝突、性質は異なるが異国の地でも祖国の惨状に接しているという点でサッカー豪州代表は53年前のハンガリー代表に通じるものがある。映画は史実を基にしたフィクションだが、人は何のために戦うのか、誰のために戦うのかという根源的な問いかけに対する「解」を観る側に迫り続ける。
 当時、ハンガリーはソ連に蹂躙され、水球の試合においても理不尽な判定を余儀なくされていた。それが世に言う「メルボルンの流血戦」に発展する。プールサイドで流れるハンガリー国歌の何と美しいことか。

 もとより豪州代表と日本代表の間に特別な感情は一切、存在しない。遺恨といっても、それはあくまでもピッチ上のことだ。
 オランダ人監督のピム・ファーベークは練習を非公開にした岡田ジャパンに対し「そんなに自信がないのか」と挑発してみせたが、そこにヒリヒリするような切迫感はなかった。
 だが、喪章を付けて戦うことで、オージーにとって今夜の横浜でのゲームは単なる首位攻防戦から特別な戦いになってしまった。何のために戦うのか、誰のために戦うのか。彼らの「大義」が怖い。

<この原稿は09年2月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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