リングの身体芸術(武藤敬司)

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「プロレスはアート」。そう主張し続けたプロレスラーが来年2月、リングを去る。大技ムーンサルトプレスで日米のリングを熱狂させた男は、引退の舞台でも宙を舞うのか。ラストアートに注目が集まる。

 

<この原稿は2022年12月5日号の『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 ボクシング現役世界ヘビー級王者、モハメド・アリとの世紀の一戦、他団体のエース、ストロング小林との日本人頂上対決、凶悪ファイター、タイガー・ジェット・シンとの血染めの抗争など、数々の名勝負を繰り広げたプロレスラーのアントニオ猪木さんが、さる10月1日、心不全のため世を去った。79歳だった。

 

 その猪木さんの現役時代のニックネーム「闘魂」に、アレクセンドル・デュマの小説「ダルタニャン物語」に登場する「三銃士」を組み合わせた「闘魂三銃士」なるユニットで売り出したのが、新日本プロレスの同期入門生、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の(故人)3人である。

 

 今回の主人公・武藤には師である猪木さんについて、忘れられない思い出がある。武藤が入門間もない頃の出来事。

 

「ある日の夜、猪木さんがフラッと道場にやってきて、オレに言ったんです。“武藤、タクシー呼んでくれ”って。まぁ、それはいいんですけど、続けてオレに“武藤、タクシー代がないから1万円貸してくれ”って。オレ、まだデビュー前ですよ。会社から小遣い程度の金しかもらっていなかった。そのオレに“1万円貸してくれ”ですからね。オレからしたら、とんでもなくデカイ金ですよ。結局、その金、返ってきませんでしたけど(笑)」

 

 金銭には頓着しなかった猪木さんだが、リングを見詰める視線は厳しかった。

 

 1995年10月9日、東京ドームで「新日本プロレス対UWFインターナショナルの全面対抗戦」が行なわれた。メインイベンターの武藤は高田延彦に足四の字固めでギブアップを奪うのだが、猪木さんはお冠だったという。

 

「控室で猪木さんに怒られたんですよ。“しょっぱい試合しやがって”と。オレ、入場する時、花道でカッコつけて、いろいろと見得を切ったんです。それが、どうも猪木さんは気に入らなかったみたい。“戦争なんだから、もっと殺気を出せ”と、言いたかったんじゃないでしょうか」

 

 しょっぱい、とは元々は“弱い”とか“情けない”を意味する相撲用語である。プロレス界では“つまらない”とか“しょうもない”という意味で使われていた。

 

 しかし、あの試合の真骨頂は、足四の字固めというプロレスの古典的な必殺技で格闘技路線の団体のトップレスラーからギブアップを奪ったところにあった。

 

 実はフィニッシュホールドに足四の字固めを使ったのには理由があった。

 

「オレはアメリカでリック・フレアーに四の字でよくやられていたんです。フレアーは、この技ひとつで20分でも30分でもストーリーを作りあげることができた。そんなフレアーに対し、オレには“羨ましいなァ”という思いがありましたよ。それが、あの日の四の字につながったと思うんです」

 

 そして、続けた。

「四の字にいく前にドラゴンスクリューというひねり技を連発しました。あの頃、オレのヒザは壊れていて、もうムーンサルトだけに依存できなくなっていた。ドラゴンスクリューから四の字というパターンに説得力が生まれたことで、その後、25年くらい現役を続けることができましたよ」

 

 武藤のファイトには華があった。身長188センチと大柄ながら飛び道具を得意にしていた。その精華がトップロープから後方にひねりながら回転し、仰向けの相手に襲いかかるムーンサルトプレスだった。

 

「オレ、小学生の頃からトンボ回りやバック転が得意だったんです。それで“ヤングライオン杯”で使ったら、お客さんがウァーッとなった。これは引きがあるぞと。昔は大技を使うと先輩方ににらまれたりしたんですが、ちょうどうるさい人たちもいなくなっていた。昔の映像を見たら、本当に高く跳んでいますね(笑)」

 

 しかし、大技ゆえに代償は大きく、ヒザに慢性的な故障を抱えるようになり、ついに2018年3月、両ヒザの人工関節置換手術を受けた。

 

 医師の診断は「ビルの3階からの転落事故と同等のケガ」というものだった。

「オレのヒザの骨はかなり大きくて、日本に適合する人工関節はなかったみたい。そこで海外から取り寄せました。金属部分に“MUTO”と刻まれているので、オレが死んだら骨と一緒に“MUTO”という文字が刻まれた金属が残るかもしれません」

 

 手術を機に武藤はムーンサルト封印を宣言したが、その禁を破って2021年6月6日、丸藤正道相手に1180日ぶりに宙を舞った。

 

「思った以上に(ヒザに)衝撃を受けました。幸い、ヒザは壊れなかったけど、素材の金属に負けて他の足の骨が折れてしまう。医師からは“もう2度とやらないでくれ”と叱られました」

 

 武藤は芸術家肌のレスラーである。「プロレスはアート」というのが持論だ。これまで無数のアートを生み出してきた。だが、表現の手段である身体は永遠ではない。来年2月21日、東京ドームでの試合を最後に武藤はリングに別れを告げる。

 

「最終的に引退を決意したのは、これまでヒザのことで家族に散々、迷惑をかけてきたからです。さすがに、もうこれ以上迷惑はかけられないなって。少しでもマシな時に辞めよう、というのが本音ですね」

 

 ――最後のムーンサルトプレス?

「そうっすよね? そうっすよね(笑)。1回くらい、ちょっと思わせぶりにロープに上がり、(ファンを)がっかりさせておいて、もう1回……(笑)」

 

 いたずらっ子のような口調で、武藤は言った。

 

 稀代の身体芸術家のラストファイトならぬラストアートを、しっかりと目に焼きつけたい。

 

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