いつだったか、東北楽天・野村克也監督が懐かしそうな口ぶりでこう語ったことがあった。

「どの監督でも影響を受けた監督に似てくると思うんです。私自身もふっと鶴岡一人さんの影響を受けているな、と思うことがある。しゃべり方まで広島弁が出ることがありますからね。
 亡くなった仰木彬さんは、これは完全に三原脩さんですよ。あのベンチから出てくる姿とかね。審判に対しても、ちょっと怒らせて“もういいのかな”と思っていたら、また怒らせるところも三原流ですよね。
 あるいは抗議しないかなと思っていると、おもむろに出てくる。しかも抗議時間が長い。三原さんも長かった。
 ところが鶴岡さんは非常に淡白で、すぐに引き返してくる。ベテランからは“もっと(審判に)言ってくれよ”と不満が出ていました。
 鶴岡さんは審判に対してはフェアプレーというか、きつい抗議は一切しませんでしたね。よく思われようとしていたのか、審判を敵に回しちゃいけないと思ったのか、本当にあっさり引き下がってきた。それを見ていたからか、僕もあまり抗議は長くないですね」

 名監督の下でプレーした選手が監督になって成功する確率が高いのは、それだけレベルの高い野球を学んでいる証拠だろう。
 近年では、西武黄金期の主力選手だった伊東勤や渡辺久信が監督1年目で日本一に輝いている。
 名将の異名を欲しいままにした広岡達朗や森祇晶の薫陶を受けたことが大きかったのではないか。
 その文脈で言えば、今季、最も期待できるのは福岡ソフトバンクの指揮を執る秋山幸二である。
 現役時代、広岡達朗、森祇晶、そして王貞治と3人の日本一監督の下でプレーした。自らも西武、ダイエー(現ソフトバンク)で12度のリーグ優勝と9度の日本一を経験している。
「何かを覚えたというより、経験したってことが大きかったんじゃないですかね。実際、シーズンが始まると、“××監督なら、ここはバントしていたな”とか似てくる部分が出るかもしれませんね」

 名将から受け継ぐのは戦略や戦術だけではない。そのたたずまいまで似てくる時がある。
 たとえばWBC日本代表と巨人を率いる原辰徳監督。ベンチで腕組みしているシーンを見ると、つい今はなき元巨人の藤田元司監督の姿と重なる。
 原は計7年間、藤田の下でプレーした。
 キャンプ地で昔話に花が咲いた。
「昔は遠征先やキャンプ地では全員がホテルの大広間で食事をしていました。普通の監督なら一番奥に座って、選手の表情を見ながら食べたいと考えるでしょう。
 ところが藤田さんは、奥からひとつ手前の席で壁側を向き、選手に背中を見せた状態で食事をしていました。
 試合で勝とうが負けようが、このポジションはいつも一緒。監督の背中からは“今日は喜んでいるぜ”とか“今日は泣いているな”とか何か伝わるものがありましたよ。その背中を見て“よし、今日は頑張ろうじゃないか!”と気持ちが奮い立つこともありました」
 ――監督としてチームを率いるにあたり、藤田さんの影響はかなり受けていると?
「そうですね。藤田さんの背中は“プロとは孤独である”と教えてくれたような気がします。
 もちろんチームスポーツである以上、みんなでスクラムを組むことはあります。でも基本的に1年目であろうがベテランであろうが、プロが戦いに臨むときは孤独なんです。藤田さんからはそういったプロの厳しさ、心構えを学ぶことができました」

 プロとは孤独である。――。これはいい言葉だ。チームのためにひとりひとりが力を合わせるのではなく、ひとりひとりのレベルアップがチーム力を向上させるのである。
 以前にも紹介したことがあるが、王貞治のこの言葉ほど「プロとは何か!?」を言い表したものはない。
「だから若い人は個人のことだけ考えてくれればいいんですよ。とにかくチームのためにどうのとか変なプレッシャーを感じないで欲しい。自分のことだけ考えてくれればいいんです。あとはこっちがまとめていくからね」
 勝てば英雄だが負ければボロクソ。それこそ監督の評価は株価のように乱高下する。
 逆に言えば、これ以上、やり甲斐のある仕事もあるまい。

<この原稿は2009年4月3日号『週刊ゴラク』に掲載されたものです>

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