かつて「日本代表」のことをラグビーでは「ジャパン」と呼んでいた。バレーボールは「全日本」だった。
 日の丸を背負って国際舞台で戦うチームが、競技を問わず「日本代表」に統一されたのはいつくらいか。私の記憶ではハンス・オフト率いるサッカー日本代表が米国W杯出場を目指したあたりからだ。Jリーグ誕生を機にサッカー人気は瞬く間に列島を覆いつくし、その頂点に位置する「日本代表」はスポーツにおけるナショナル・ブランドとして不動の地位を得た。
 忘れられないエピソードがある。1993年秋のことだ。ちょうどプロ野球の日本シリーズとドーハでの米国W杯アジア最終予選が重なった。サッカー日本代表キャプテン柱谷哲二は「首相にも来てほしい」と広言した。
 その報に接したヤクルトのある選手は小声でこうつぶやいた。「こっち(野球)は神宮と所沢のバス移動。向こうはナショナル・フラッグで移動し、世界を相手に戦っている。子供たちはどっちに憧れを抱くか。プロ野球の上層部の人たちはもっと危機感を持ってくれないと…」

 WBCでの「侍ジャパン」の奮闘、そして国民の熱狂を見ていると隔世の感がある。「日の丸」こそがこの国においては最強のコンテンツなのだ。
 サッカー日本代表や侍ジャパンの活躍に刺激を受け、代表入りを決意したバスケットボール界のスターがいる。日本人ただひとりの元NBAプレーヤー田臥勇太(リンク栃木)だ。
 田臥にとっては高校3年生の時、親善試合に出場して以来の“代表”となる。3年前も世界選手権代表候補に選出されたが、本人の言葉を借りれば「アメリカ挑戦にシフトしていて」代表入りを辞退した。NBAと日本代表。ふたつを秤にかければ、前者のほうが圧倒的に重かった。

 ところが、最近になって少々、考え方が変わってきたという。もちろんNBAの再挑戦を諦めたわけではない。「自分の夢と国の夢、ふたつを並行してやれないだろうか…」。そう思うようになってきた。「日の丸を背負うことの責任感や国のために戦うことの意義。その気持ちが徐々に強くなってきている」。過日、会った時、彼はこう言った。アジア選手権予選を兼ねた東アジア選手権は6月10日に開幕する。日の丸を背負った田臥の雄姿。これは見物である。

<この原稿は09年4月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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