元プロレスラーで全日本プロレスでも活躍した垣原賢人さんが、13日に急逝した三沢光晴さんに全日本入団の挨拶を行なったのは1998年2月のことだ。握手をかわそうとした瞬間、垣原さんは三沢さんの異変に気が付いた。ヒジの動きがぎこちないのである。これが「頻繁に受身を取ることによる後遺症であるらしい」と知ったのは、しばらくたってからだった。
全日本の一員になって、さらに驚いたことがある。それは三沢さんの三冠戦が行なわれた控室での出来事。
「なんと120キロはあろうかという巨漢の整体師が三沢さんの首にタオルを巻きつけ、渾身の力で首を引っ張るんです。三沢さんの体が動かないように僕らが押さえ役となり、体の上に乗ったりしていました。この作業はもはや三冠戦後の恒例行事となっていました」

三沢さんの全日本時代の先輩にあたる天龍源一郎からは「プロレスの過酷さ」について、かつてこんな話を聞いたことがある。「相撲の場合、勝っても負けても短時間で終わるけど、プロレスの場合、そうはいかない。簡単に勝とうとすると、“もっとやれよ!”“フザけんなよ!”と罵声の嵐ですよ。中には“カネ返せ!”って客もいますから。相撲でバンと押し出して勝ったからと言って“カネ返せ!”という客はひとりもいませんけどね(笑)」

試合中のアクシデントによるプロレスラーの死亡例は国内では97年8月のプラム麻里子さん、99年4月の門恵美子さん、2000年4月の福田雅一さんなどが報告されている。一命こそ取り留めたものの、リングでの事故が原因で全身不随になったレスラーもいる。
格闘技にケガはつきものだが、死んでしまっては元も子もない。安全対策には最大限、力を入れるべきだ。今回はリングドクター不在が明るみに出た。

現在、プロレス団体は男女合わせて40以上ある。マット界には全団体を統括するコミッション機関がないため、個々の団体に“業務改善”を命じるのは不可能だが、せめて安全対策のための横断的な連絡協議会のようなものならすぐにでもつくれるはずだ。今回の悲劇を美談にするのではなく、不幸の連鎖を断ち切るために何ができるか、何をすべきか、それをマット界の住人たちは真剣に考えて欲しい。三沢さんの壮絶な「戦死」を無駄にしないためにも。

<この原稿は09年6月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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