小泉政権の幕引きにあたり、「格差社会」を負の遺産の最たるものだと指摘し、任期中の5年間を全否定するような物言いをする識者が、このところ増えてきた。果たして、そうだろうか。小泉が火中の栗を拾うがごとく不良債権処理に乗り出さなかったら、この国の経済が復活することはありえなかった。「格差社会」どころか「貧困社会」に陥っていた可能性すらある。
 手術をすれば、しばらくの間は副作用に悩まされる。構造改革の影の部分として「格差社会」が浮上したのであれば、次の政権が手当てをすればいい。副作用が出たからといって手術そのものが間違っていたというのは本末転倒だ。もし副作用を恐れてメスを入れなければ、事態は間違いなくもっと悪化していた。

 こうした大局観が日本のサッカーにも必要だ。ドイツでのジーコ采配に問題があったのは事実だし、その具体例については厳しく指摘してきた。しかし、だからといってジーコジャパンの4年間を全否定していいものなのか。それはあまりにも悲観的で生産性のない行為ではないか。

 前任のフィリップ・トルシエは4年前、決勝トーナメント進出というホスト国としての最低限のノルマを達成した。立派にミッションを果たし得たと私は評価している。しかし、いつまでたっても箸(はし)の上げ下ろしまで指示される「サムライ」たちであっていいのか。本当に強いチームは最終的な局面においては自らが判断し、自らが行動する。その意味ではジーコが唱えた「自由なサッカー」は方向性として間違いではない。ただ「規律」から「自由」へのコペルニクス的転換は大きな副作用をも伴う。

 私見を述べれば「規律」と「自由」を対立概念にするのではなく、そのチームのレベルに応じて使い分けられるオシムのような指導者を1人挟み、チームが“成人”してからジーコにバトンを渡しても良かったのではないか、とは思う。だが、それは今言っても仕方がない。

 ジーコの後見人だった川淵三郎はロマンの人だ。
<型にはまった形での、選択肢を1つだけ与えられてそれを辛抱して遂行するのだけが日本人じゃないぞ、昔だって型にはまらず生きてきた日本人は大勢いたろうし、今だってそうだよ。そういう選手が今の代表にもたくさんいるじゃないか。自分を殻に閉じ込めて生きる必要はないんだよ……>(川淵三郎著『虹を掴(つか)む』から)
 川淵は選手たちの自立をジーコに託した。結果は出なかったがトップが下した決断は尊重されるべきだ。

 蛇足だが、川淵退陣論に私は与(くみ)しない。代表が負けるたびにトップが交代するような前例は断じてつくるべきではない。代表監督の選任は協会トップの仕事の一部に過ぎないのだから。
 
 気になるのは、またぞろ顔をのぞかせ始めた「組織優先論」だ。日本人は「個」では勝てない、やはり「組織」で戦うべきだ――。なぜ「個」も「組織」もと言えないのか。先述した「自由」と「規律」もそうだが、これらは対立概念ではなく、求めるべきはそのシナジーなのだ。成長途上の日本サッカーにあって、何よりも必要なのは50年先を見据えた揺らぐことのない「哲学」だと私は考える。

 アズーリには逆境がよく似合う 〜イタリア−フランス〜

 確信があったわけではない。そんな予感がしただけだ。金子達仁氏との対談(6月1日付)で、私はイタリアを本命に挙げた。その根拠はセリエAでの不正事件の“逆バネ”だ。ドイツで無残な姿をさらそうものなら、もはや彼らに居場所はない。追い込まれた時のイタリアは尋常ではない力を発揮する。82年は八百長の疑いで2年間も出場停止処分をくらったパオロ・ロッシが、その鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように爆発した。94年は攻守の要であるロベルト・バッジオ、フランコ・バレージがともに負傷しながら決勝に進出し、ブラジルとスコアレスの死闘(PKで敗北)を演じた。

 逆境こそはアズーリにとって実は最大のモチベーションであり、底力の源でもある。今大会も6試合で許したゴールは米国戦のオウンゴールのわずか1点のみ。過去のイタリアに比べれば、若干、攻撃的ではあるものの、やはりこのチームには「快楽」よりも「禁欲」の方がよく似合う。

 金子氏はフランスに二重丸を打った。慧眼(けいがん)だ。私は「対抗まで」とした。正直言ってジダンがここまで復調してくるとは思わなかった。周波数が違っていたアンリとのホットラインもスペイン戦でチューニングに成功した。マケレレ、ビエラの両ボランチは“中盤の要塞(ようさい)”の役割を果たし、侵入者への執ようで厳しいチェックはテロ対策の見本のようですらある。サッカーを地政学と見なすなら、イタリアとフランスほどリスクをヘッジすることにたけたチームはない。“守高攻低”の今大会にあって、両国が決勝に進出したのはある意味、必然ではなかったか。

 しかし、と思う。4年に1度、最先端の戦術と技術を競うフットボールの祭典が、いかにも骨董屋の目利きが喜びそうな玄人好みの博覧会で終わっていいものか。仮にフランスが勝ったとしよう。「ジダンのために」が最大の勝因だったとして、それで98年を超えたことになるのだろうか。フランスが世界に誇る高級紙「ル・モンド」は8年前の決勝当日の紙面にこんな気品あるコラムを載せた。<「日曜日」はフランスにとって真の冒険の日となるだろう。それは必ずしも優勝を意味するものではない。事実上、たったひとつの「日曜日」にふさわしい、花火のような輝きを見せなくてはならないのだ>

 果たしてレ・ブルーは「ル・モンド」が期待した以上の「日曜日」をフランス国民にもたらした。ブラジルから2点を奪ったジダンはそれこそ「花火」のような輝きを見せた。「国歌も満足に歌えないのか」と批判された“他民族軍団”は、ピッチの上で絶妙のハーモニーを奏でた。その意味で8年前のフランスの優勝は「キャトルズ・ジュイエ」(革命記念日)そのものだった。

 では仮にイタリアが優勝したとしよう。同国は90、94、そして98年と3大会連続でPK戦で煮え湯を飲まされている。その呪縛(じゅばく)から解放されたというだけでは物語としてはスケール感に欠ける。チャンピオンには強さだけでなく、品位や風格、そして美風が求められる。ロマンティックな日曜日(日本は月曜の早朝)になることを願う。

(おわり)
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<このコラムは2006年7月に『スポーツニッポン』で掲載後、当サイトで紹介したものです>
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