坂を下りたグラウンドに陽に焼けた顔はあった。もう、あれから5年が経つ。夏の甲子園で南北海道代表の駒大苫小牧が決勝に進出したと聞いてびっくりした。「まさか北海道の学校が…」
 その時、私は五輪の取材でアテネにいた。決勝の前夜、主催新聞社の松山支局から滞在していたホテルに電話がかかってきた。優勝した場合のコメントが欲しいという。なぜなら私の地元・愛媛の済美との決勝だったからだ。済美には春夏連覇がかかっていた。失礼ながら北海道勢に負けることはまずあるまいと思い、二つ返事で“お祝いコメント”を引き受けた。
 ところが――。深紅の大旗は「白河の関」どころか「津軽海峡」をも飛び越えてしまったのである。アテネでもこの話で持ちきりだった。寒冷地に初の大旗をもたらせた指導者・香田誉士史という男に興味を持った瞬間でもあった。

 九州育ちの香田を待ち受けていた試練はペットボトルの水までが凍る寒さだけではなかった。ハンマーでも叩き壊せそうにない「意識の壁」だった。北海道の人々は本州のことを「内地」と呼ぶ。この「内地」という呼び方に香田はまず拭い難い違和感を覚えた。「ということは北海道は外地なのか…。自分たちは外れている。野球は遅れている。ハンデがある。夏のスポーツはできない。自分たちで言い訳をつくっているのではないか…」

 ならば、と香田は大胆な行動に打って出る。ブルドーザーを使って雪をどけ、トンボでグラウンドを丁寧にならした。そして、選手に向かって叫んだ。「今、この瞬間、本州の選手も外で練習をやっているけど、ウチだってやっているぞ。あとは寒いか寒くないか、地面が赤茶色か白かの差だけだ。他に何の違いもないぞ!」

 2連覇。そして史上4校目の3年連続決勝進出。歓喜の峰が高ければ、失意の谷は恐ろしく深い。不祥事による度を越えたバッシング。その結果としての人間不信。今、香田は神奈川大学リーグに所属する鶴見大野球部を指導している。
 坂の下のグラウンドに喧騒はない。球音のみが夏の空に静かに吸い込まれていく。まるで、そこだけ時間が止まっているかのように。「我雌伏して、中原に覇を唱えん」。巨人を追われた三原脩が博多に下る際に残した言葉を香田誉士史に贈る。彼は余人をもって替え難い指導者である。

<この原稿は09年8月5日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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