群馬ダイヤモンドペガサスは昨季果たせなかった前期優勝を達成することができました。勝因はリーグトップのチーム防御率が表している通り、投手陣の頑張りが第一に挙げられると思います。しかし、夏は投手にとって体力的に非常に厳しい時期。やはり野手の奮起が不可欠です。実際、調子の上がっている選手も多く、後期は野手が投手を援護していきたいと思っています。
 前期の前半は守備でのミスが多く、失策数がリーグワーストだった時期もありました。正直、4、5月の野手は投手陣におんぶにだっこ状態だったといわざるを得ません。しかし、5、6月に守備練習に力を入れたことで、徐々にミスも減り、1試合に3つや4つ、多いときには5つ以上もあった失策が、今ではあっても1つという状態にまで改善されています。プラスに考えれば、始めにウミを出してしまってよかったと思っています。

 守備でミスが多い中、打線では井野口祐介(桐生商高−平成国際大−富山サンダーバーズ)、小西翔(高田高−慶応義塾大−新潟アルビレックスBC)といった中軸の選手が故障で抜けたこともチームにとっては大きな痛手でした。しかし、そこで奮起してくれたのが若手選手でした。高卒2年目の廣神聖哉(前橋育英高)や志藤恭太(市川高)が中軸を打つなど、チームにとっては彼らの活躍は非常に大きかったですね。彼らも重要なポジションを任せられたことで、責任感が出てきたのでしょう。志藤などは現在、チーム内でトップの打率をマークしています。

 這い上がってきた志藤

 さて、今後の課題としてはもう少し精神面での強さが欲しいなと感じています。チームとしてのまとまりは感じられるものの、個人的に「集中力」や「継続力」といった面ではまだまだ弱さがあります。というのも、うまくいかないからといってふてくされる選手も未だに少なくないからです。それでは何のためにやっているのかわかりません。

 これは選手たちが目標とするNPBに行っても同じ、いえ今以上に求められることでもあります。極端に言えば、プロは全員がライバルの世界。精神面で潰されることも数多くあります。僕自身、「あの人がいなければ自分は出れるのに」と何度思ったことか……。そんな厳しい世界だからこそ、強い気持ちを持っていなければいけません。どんなことがあっても自分がやるべきことに集中し、そして途中で投げ出さない継続力は絶対条件です。

 そういう意味では志藤は著しい成長を見せています。以前にも述べたように、もともと努力する才能のある選手でしたが、今年に入ってからはガッツも見せてくれています。彼は試合ではファーストもやっていますが、本職はサード。サードといえば、昔から野球選手が憧れる、いわゆる“ホットコーナー”です。NPBを見ても、サードにはガッツにあふれ、そしてキャプテンシーのある選手が揃っています。志藤にもそうした選手になってほしいと思っています。

 実は今年のキャンプ、僕は志藤を厳しく叱りました。守備練習での彼の態度が気に入らなかったのです。ボールを捕れる、捕れないの問題ではありません。技術的なことは、むしろ指導する僕の側にあると思っています。僕が求めているのはそうではなく、ボールを追う姿勢です。たとえ結果は捕れなくても、何が何でも捕ろうとするひたむきな気持ちが当時の彼には感じられなかったのです。2年目となり、環境に慣れたこともあったのかもしれません。

 そこで僕ははっきりと言ったのです。「何でオマエがレギュラーを取れないか。それは守れないからだよ」。僕の逆鱗に触れ、志藤は目に涙を溜めていました。それほど厳しく叱ったのです。もし、それで彼の気持ちが萎えてしまうようであれば、そこまでの選手だったということです。しかし、案の定、彼はそこから這い上がってきました。自ら早朝の特守を志願し、今も継続してやっています。こうした努力が実り、今では主力メンバーの一人。チームにとっては重要な存在となっています。

 さて、チームは後期ももちろん優勝を狙っているわけですが、そのための一番のポイントはやはり守備にあると思っています。先述したように、前期に比べればミスはだいぶ減りましたが、今でも数字には表れないミスがあります。よく“打線は水モノ”と言いますが、確率からいってもよくて3割という世界。しかし、守備は努力次第で9割を超えることができます。ですから、9割5分以上の守備力を誇れる選手を増やしていきたいと思っています。

 12日現在、群馬は10勝4敗、上信越地区の首位をキープしています。猛暑の中、昨季逃したリーグチャンピオンという目標に向かって、選手たちも必死に頑張っています。夏休みのこの時期、ぜひご家族で球場に足を運び、応援してもらえれば嬉しいですね。

澤井良輔(さわい・りょうすけ)プロフィール>:群馬ダイヤモンドペガサスコーチ
1978年3月9日、千葉県出身。銚子商業では3年時に春夏連続で甲子園に出場し、春準優勝の立役者となった。そのバッティングセンスはプロも注目。全国屈指の強打者として名を馳せていたPL学園の福留孝介(現カブス)と比較されることも多く、「西の福留、東の澤井」と言われた。1996年、千葉ロッテにドラフト1位で指名され入団。しかし、なかなか1軍に定着することができず、05年オフに戦力外通告を受ける。その後はクラブチームでプレーしていたが、昨季より群馬のコーチに就任し、本格的に指導者の道を歩み始めた。


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