メジャーリーグ通算34勝(16セーブ)は日本人としては史上5位タイである。ワールドシリーズのチャンピオンリングは2つも持っている。
 伊良部秀輝の高知ファイティングドッグス(四国・アイランドリーグ)入りが決まった。

 エクスポズ時代には年俸4億3000万円ももらっていた男が、わずか月給16万円で再スタートを切るのだ。彼が目標に定めるのはNPB(日本プロ野球組織)復帰である。
 高知入団に際し、伊良部は、「高知で先発ローテーションで投げさせてもらい、その後にNPBとの交流戦もあると聞いているので、そこでも投げて結果を出したい」と語っていた。
 伊良部といえばヤンキース時代の“ツバ吐き”の印象が強いためか、どうしても“問題児”のイメージが付きまとう。
 しかし、私が知る伊良部は“野球の虫”である。朝から晩まで野球のことばかり考えている男、との印象がある。

 ヤンキースに入ってしばらくたった頃、ニューヨークのホテルで3時間、ぶっ通しでインタビューを行ったことがある。
 普通なら趣味のことや家庭のことにも話が及ぶ。しかし、伊良部はそれこそ愚直にストレートを投げ込むように、野球のことしか口にしなかった。
 たとえば、メジャーリーグへのこだわりについてはこんな具合だった。
「どうせ、たった一度の野球人生だったら、緊張してプレーできる大きな舞台でやりたい。それがヤンキースにこだわるようになった大きな理由なんですが、ルーツをたどれば15年くらい前になるかもしれません。
 僕が中学生の頃、ニグロリーグでものすごい成績を残しながら、世に出られなかったピッチャーの物語を、あるドキュメンタリー番組でやっていたんです。そう、世界最速のボールを投げたといわれるサチェル・ペイジのことです。
 それからというもの、僕は本やビデオでサチェル・ペイジのことを研究しました。本屋に行ってはメジャーリーグ関係の雑誌を読みあさりました。ヤンキースの存在を知ったのも、この頃です」
 中学や高校の頃、部屋の壁にはドワイト・グッデンやロジャー・クレメンスの切り抜き写真を張っていたというのだから、相当な“メジャーリーグおたく”だったのだろう。

 ピッチングについても、あの風貌からは想像もできないくらい繊細で慎重だ。
 高知の定岡智秋監督は「入団当日のピッチング練習ではアンパイアに『ボール何個分外れているの?』と(ストライクゾーンを)1球1球聞いていた」とプロ意識の高さに感心していた。
 もっとも、かつての剛腕も、もう40歳。ローテーションの柱として活躍したのは阪神時代の2003年が最後だ。
 NPBに復帰するには日本の独立リーグでケタ違いの成績を残す必要がある。今の伊良部にそれだけの余力は残っているのか……。

<この原稿は2009年8月30日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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