3シーズン目のアイランドリーグもいよいよ大詰めを迎えた。シーズンを良い形で締めくくりたい気持ちにNPBもアイランドリーグも変わりはない。四国からNPBにはばたいた選手たちは、今年1年をどんな形で、どんな思いで過ごしてきたのか? それぞれの今を追いかけた。

 もう1度、1軍へ――中谷翼(広島東洋カープ)

「正直言って、バテてます……」
 彼と四国で初めて会ったのも、暑い夏の日だった。球場内の日陰で座り込んでいたところに話を聞いた。調子を聞くと、すぐに冒頭のセリフが返ってきた。
 あれから2年。その時着ていたオレンジ色の愛媛のユニホームは、広島の赤いストライプのものに変わった。酷暑の中、広島市民球場での2軍のデーゲームを終えた中谷は、すっかりたくましいプロ野球選手に変身していた。

「昨年、キャンプを腰の故障で出遅れてから、腹筋と背筋をしっかり鍛えました。打撃も守備も走塁も、練習の成果が少しずつ出てきているのかなと思います」
 NPB2年目の今季はスタートから着実に階段をのぼっている。キャンプでは順調にメニューをこなし、1軍選手に交じって紅白戦や練習試合でアピールを重ねた。中谷のバッティングを見た主砲の前田智徳に「なんであれで育成選手なんだ」と言わしめた。キャンプ後、支配下登録を勝ち取り、5月3日には念願の1軍昇格の機会を得る。

「(昇格のしらせを聞いたときは)“何で?”とビックリしましたね。前日は遠征で神戸に来ていて夜遅かったので、もう寝ていました。そこを電話で叩き起こされ、バック1つ抱えて早朝の新幹線で広島に戻りました。ところが、連休中で指定席はもちろん自由席も満席でデッキに立ちっぱなし。移動だけで大変でしたよ」
 初の1軍は慣れないことだらけだった。練習中から自分の居場所がないような気がした。ベンチにいても落ち着かない。攻守交替のたびに先輩たちの座る場所を避けて、席を移動していた。甲子園にいけばタイガースファンの応援とヤジに圧倒される。仙台育英時代、センバツで準優勝を経験したが、まったく別の球場に来た感覚がした。

 初めての出番は昇格から5日後、5月8日の中日戦(福山)。3回、無死1塁の場面で代打出場を果たした。
「とにかく3回振ることを目標にしていました。何を打ったかは覚えていません。気がついたら終わっていました」
 ファーストストライクから思い切ってバットを振った。結果は朝倉健太のシュートを打たされ、一塁ゴロ併殺打に倒れた。

 翌日も代打で打席が巡ってくる。今度はルーキーの浅尾拓也と対戦した。カウント2−2からファールで粘った末、レフトフライ。無我夢中でバットを振った前日とは異なり、ボールは見えていたはずだった。しかし……。中谷は1軍のレベルを痛感する。
「ファームでやってきた感覚だと、胸元の打てるボールだと思ってバットを振ったんです。ところがファールしたのも含め、全部、高めのボール球でした。グッと最後に伸びてきて、キレがあった。これが1軍レベルのピッチャーなんだなと感じました」
 
 2日後、2軍落ちを通告された。打撃投手役を務め、特打に付き合ったマーティ・ブラウン監督からは「流れのまま打っている。ボールをしっかりとらえるトレーニングをしないと、1軍のボールは対応できない」と課題を与えられた。約1週間の1軍生活。チャンスは2打席しかなかった。アイランドリーグと2軍の壁より、2軍と1軍の壁のほうがはるかに高く険しかった。

「チャンスは1球しかない。1球もムダにできない世界なんだとあらためて思い知りました。意識の面で今まで以上に1つ1つの練習を大事にするようになりました」
 昨年のファーム成績は65試合に出て打率.270、2本塁打。今季は内野のレギュラーを獲り、すでに70試合でウエスタンリーグ8位の打率(.274)を残している。しかし、セカンドに加え、慣れないショートに挑戦した点を差し引いても失策は少なくない(リーグワースト2位の13個)。また、盗塁は昨年の1つから6つに増えたが、中谷が理想とする走攻守3拍子そろったプレーヤーになるには、走守の一層のレベルアップが不可欠だ。

「クリアしなきゃいけない課題は相当ありますよ。走塁に関しては1年目、ちょっと恐怖心というか走る勇気がなかった。牽制でアウトになってはいけないと頭がいっぱいでした。今年は技術的な面も含め、いろいろ頭の中でわかってきたつもりです。ちょっと余裕が出てきたので、もっと走りたいんですけどね。
 守りでは捕ってからのステップ、スローイングまでの形をしっかりとさせることが1番です。それがしっかりしてくれば送球も安定するし、余裕をもって捕球できるようになる。バッティングも今季のうちに3割に乗せておきたい」

 7月にはフレッシュオールスターのメンバーに選ばれ、ひさしぶりに松山・坊っちゃんスタジアムでプレーした。球場までの道のりや景色がやけに懐かしかった。
「でも、球場につくと知っている顔が多かった。愛媛時代によくヤジられた人の顔もありました(笑)。ヘンなプレッシャーがありましたね。結果を出さないと何言われるかわからないなと」
 そんな中、8回に代打で登場した中谷はヒットを放ち、9回のセカンドゴロも難なくさばく。観客からは暖かい拍手を受け、本人にとって「忘れられない1日」となった。

 この試合、イースタンリーグ選抜の4番を打ったのが高知から千葉ロッテに入団した角中勝也だ。直後に1軍登録され、ソフトバンク・西山道隆(元愛媛)から初安打をマークした。中谷がかねてから公言していた「アイランドリーグ出身選手として初ヒットを打つ」という目標は達成できなかった。

「しょうがないですよ。フレッシュオールスターのときに会ったんですけど、当たったら飛びそうなスイングをしていますよね。いきなり4番打ってすごいなと思いました」
 中谷はそうリーグの後輩を称えたが、きっと本心から出た言葉ではないだろう。今年中に1軍にもう1度上がりたいかと水を向けると、間髪入れず、はっきりと答えた。
「それはもちろん。プロ野球選手は1軍で試合に出て、結果を出してなんぼですから」
 1軍で活躍することが道を拓いてくれた四国への恩返しにもつながる。今度こそ、との思いは人一倍強い。

 支配下登録になったとはいえ、ドラフト指名選手のような契約金はなく、年俸も450万円と最低保障額(440万円)をわずかに上回る程度だ。「稼がないといけないですよ、1軍で」。ハングリー精神むき出しの一言に、体だけでなく心も本物のプロに成長した中谷がいる。この気持ちを忘れない限り、カクテル光線の下、大歓声に包まれて背番号56が光り輝く日は間違いなくやってくるはずだ。

(このシリーズは不定期で更新します)

中谷翼(なかたに・つばさ)プロフィール
 1984年9月30日、大阪府出身。右投左打。180センチ、75キロ。仙台育英高時代から俊足巧打が光り、1年夏、2年春夏と甲子園に3回出場する。特に2年春(01年)は2番打者として準優勝に貢献した。立命館大に進学するもNPB入りを目指して中退。05年、開幕1年目のアイランドリーグへ。愛媛では打率.296、本塁打5、打点38と打撃3部門いずれもリーグ2位の成績をマーク。2塁のベストナインも受賞し、06年より育成選手として広島に入団。07年3月に支配下登録を受け、今季は1軍で2試合に出場している。

(石田洋之)


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