イチローを2軍に落とした男――。さる25日、すい臓ガンのため死去した土井正三さんには、本人にとってありがたくない代名詞が付いて回った。
 オリックスの監督時代、土井さんはイチローに2軍行きを命じた。土井さんによれば、代走に起用したところ牽制にひっかかりタッチアウト。直後、監督室に呼び出し、冷徹にこう告げた。「明日からファームだ」。
 イチローは土井さんの前で大泣きした。「もう、あんなチョンボはしませんから1軍に置いてください」。プロ入り2年目、登録名は本名の「鈴木一朗」。イチローが誕生する前年のことだ。

 土井さんほどの目利きがイチローの素質を見抜けないわけはない。なにしろドラフト5位で指名する予定の選手を「4位にしてくれ」とスカウトに直談判したのは当の土井さんなのだ。
 どうしても、イチローを2軍に落とした本当の理由が知りたかった。おもむろに切り出すと土井さんは軽く目を閉じ、V9時代の記憶をたどるようにして話し始めた。

「あれは僕が巨人に入って4年目です。即戦力ルーキーとして明大から高田繁(現東京ヤクルト監督)が入ってきた。高田はプロとして必要なものを全て身につけていた。ところがある日、広島市民球場で小さなミスをした。ライトを守る高田とセカンドの僕の間へ高いフライ。僕は自分が捕れると思って“オーライ、オーライ”と声を発しながら、打球を深追いした。風に流された打球は二人の間にポトリ。その夜のことです。高田に2軍落ちが通告されたのは。
 その時、僕はまだプロ4年生。川上哲治監督に疑問を口にできる立場ではない。何年かたって、こう訊ねました。“昔の話ですが高田の2軍行きは未だに納得がいきません。監督のお考えを聞かせてください”と。すると川上さんは顔色ひとつ変えずに、こう返しました。“獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす。あれと一緒じゃ。もし、あそこで何も罰を与えなかったら野球をナメてしまう。高田は将来、ウチを背負って立つ選手になる。だから敢えて厳しくしたんだ”と。僕はそのことを思い出したんです」

 病室にはイチローからの見舞いの花。「彼の活躍が闘病生活の励みになっているんですよ」。そう言ってかすかに微笑んだ。一徹にして犀利の人だった。合掌。

<この原稿は09年9月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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