ベストセラーのタイトルは、しばしば流行語ともなる。最近では藤原正彦氏が著した『国家の品格』がそうか。かつては『「NO」と言える日本』(盛田昭夫、石原慎太郎共著)、『不確実性の時代』(ジョン・K・ガルブレイス著)というものもあった。野球関連書でいえば、ボブ・ホーナーの『地球のウラ側にもうひとつの違う野球があった』が思い出される。
 だが、最もポピュラーなものといえば、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれた糸川英夫氏(故人)の『逆転の発想』だろう。先入観や固定観念にとらわれず、柔軟な発想で問題解決への道筋を描いたものだ。
 プロ野球界においては今季限りで引退する小宮山悟が、この理論の実践者だった。彼との対話で、何枚、目からウロコがはがれ落ちたことか。
 小宮山によれば、ピッチャーと名の付く者すべてが「打たせまい」と思って投げている。当然だろう。だが彼には伊良部秀輝のような剛速球もなければ、野茂英雄や佐々木主浩のようなフォークボール、佐々岡真司のようなスライダー、潮崎哲也のようなシンカーもなかった。つまりバッターをきりきり舞いさせるボールが皆無だったのである。

 そこで、どうしたか。「打たせまいとしても打たれてしまうのだったら、打ち損じてもらうしかない。つまり打てそうなボールで、いかにして打ち取るか。そこに徹底してこだわるようになったんです」。
 ウイニングショットを持たない苦悩は、やがてバッターを翻弄する快感に変わる。「バッターが“よし!”と思って振りにいったところが凡退し、“あれ!?”いう表情でベンチに戻っていく。その様子を見るのがたまらないんです」。ニヒルにそう語る小宮山を見て、地球ならぬボールの裏側に、もうひとつの違う野球があることを知った。

 知的好奇心をくすぐる小宮山語録の中でも、きわめつけはこれだろう。「完投した翌日とかに“手も足も出なかった”というバッターのコメントが出るとイヤになりますよ。こっちは“手も足も出る”ボールで打ち取っているんだから。“こんなはずじゃなかった……”というコメント、これを目にするのが一番楽しい」
 工学博士の鳩山由紀夫首相は「政治を科学する」と宣言して政界に進出した。「野球を科学する」男・小宮山悟は、引退後、どこに実験の場を求めるのか……。

<この原稿は09年9月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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