第797回 甲子園100周年と掛布雅之
この8月1日で、甲子園球場は100周年を迎えた。
<この原稿は2024年8月16日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものを一部再構成しました>
前々日の30日には「レジェンド打者記念打席」と銘打ったセレモニーが行なわれ、阪神OBの掛布雅之と巨人OB、原辰徳が登場した。
「この球場で、一番ヤジられたのは、おそらくオレだと思うよ。それも味方のファンにね」
いつだったか掛布から、こう聞かされたことがある。
全盛期には“ミスタータイガース”と崇められた掛布だが、1986年4月の中日戦で左手に死球を受け、骨折してからは本来の姿に戻らなかった。
しかし、ファンは容赦しない。ヤジだけならまだしも、脅迫電話や脅迫状にも悩まされ、復帰後は「オレがこれまで必死でやってきたことは、いったい何だったのか」と苛立ちを噛み締める日々が続いた。
88年、33歳での引退は、あまりも早すぎた。
甲子園で引退試合を行うにあたり、マネジャーから「最後に場内を一周してファンの人にありがとうと言ってくれんか?」と頼まれた。
普通の選手なら、「わかりました」とふたつ返事で答えるところだが、掛布にはわだかまりがあった。
「ファンに頭を下げるのだけは嫌です」
ところが、グラウンドに出た瞬間に『掛布雅之、夢をありがとう』という垂れ幕が目に飛び込んできた。
これを目のあたりにして、心の中のわだかまりが氷解したという。
「85年に優勝を経験したことで、もう僕に野球の忘れ物はないと思っていた。しかし、引退試合でファンの声援を聞いた時、改めて僕を支えてくれたものが何だったのかということに気付いた。
そう、僕を支えてくれていたのは、監督でもコーチでも先輩でもなく、ファンの手が痛くなるほどの拍手だったんです。危うく、大きな忘れ物をしてしまうところでした」
これまでの100年とこれからの100年。甲子園は新しいヒーローを待っている。