第798回 落合博満を鍛えた青春のボウリング

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 人生に回り道など存在しない。道草は食えば食うだけ栄養になる――。

 

 

<この原稿は2024年9月20日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されました>

 

 プロ野球で三冠王を3度獲得している落合博満の野球人生をたどると、そんな言葉が思い浮かぶ。

 

 過日、ロッテ時代、落合に打撃を教わった愛甲猛に話を聞く機会があった。

 

「オチさんの右手首の強さと握力って尋常じゃないんですよ。バッティングはボールを押し込まないといけないから、後ろの手の力が必要になる。右バッターなら右手。あれはボウリングで鍛えたものだと思うんです」

 

 落合が東洋大中退後、地元の秋田に帰り、プロボウラーを目指したのは、よく知られた話だ。

 

 本人は自著『なんと言われようとオレ流さ』(講談社)で、こう述べている。

 

<郷里の秋田に帰って、毎日ブラブラしていた。当時ブームだったボウリングに明け暮れていたんだ。運よくちょうど、兄貴がボウリング場の支配人をしていたから、そこでアルバイトをはじめてね。

 

 ピンをぞうきんできれいに磨きながら、「いっそのことプロボウラーになってやろうか」と考えたこともあった>

 

 ボウリングブームのピークは、ちょうど落合が大学を中退し、秋田に帰ってきた1970年代前半である。

 

 72年にはボウリング人口が1000万人、ボウリング場は4000近くに達した。

 

 最大のスターは、女子プロボウラーの中山律子だ。

 

 ♪律子さん 律子さん さわやか律子さん

 

 私たちの世代で、彼女が出演していたシャンプーのCMを覚えていない者はいないだろう。

 

 その中山の後輩に杉本勝子という女子プロがいた。1981年、82年とWIBCクイーンズオープンを連覇したレジェンドである。

 

 再び愛甲。

「その杉本さんが、ロッテの鹿児島キャンプに1日だけ飛び入りで参加した。で、休みの日、オチさんに“ボーリングに行こう”と誘われた。僕もついていったんですが、これがプロはだし。杉本さんに勝っちゃったんですから……」

 

 この事実からも分かるように、仮にプロボウラーになっていたとしても落合は成功を収めていただろう。

 

 しかし、ブームの頃も男子プロの年収は、トップクラスで1000万円程度。最多通算獲得賞金は酒井武雄の1億6000万円と言われている。

 

 落合がNPB史上初の1億円プレーヤー(1億3000万円)となったのはロッテから中日に移籍した86年のオフ。ボウリングで鍛えた右手のおかげだった。

 

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