「もう勝てないかと思った。勝つことがどれだけ難しいか、26年やってあらためて感じましたね。忘れられない1勝になります。家でかあちゃんが泣いてるらしいよ」
 横浜のサウスポー工藤公康が2007年5月23日、グッドウィルドーム(現西武ドーム)での西武戦で移籍後初勝利をあげた。
 44歳0カ月での勝利はセ・リーグ最年長記録。日本記録は1950年5月に浜崎真二(当時阪急)が達成した48歳4カ月。これには届きそうもないが、“ハマのおじさん”の活躍はまだまだ続きそうだ。
 07シーズンの開幕前、横浜のキャンプ地、沖縄・宜野湾で工藤にじっくり話を聞く機会があった。その内容はまさに熟達の投球論と呼ぶにふさわしいものだった。
「ピッチャーには2つの投げ方しかない」
 これが工藤の持論である。
 咀嚼して言えば「軸回転」と「タテ回転」――。どこが、どう違うのか。
「『軸回転』はコマのように、体の軸を中心に回転する投げ方。一方の『タテ回転』は文字通り上から下に腕を振り下ろす投げ方。これは背の高いピッチャーに多いですね」
――工藤さんは「軸回転」?
「そうです。僕は軸回転です。ウチで言えば三浦大輔もそうです。アメリカに行った元巨人の桑田真澄もそうですね」
――では「タテ回転」は?
「代表的なところではメジャーリーグで活躍した野茂英雄、佐々木主浩、現役では巨人の上原浩治がこのタイプです」
――野茂は“トルネード投法”という独特な投げ方でも分かるように、腰をクルッとターンさせますが……。
「でも投げるときは腕を上から下に振り下ろしていますよ」
――「軸回転」と「タテ回転」とでは投げるべき変化球も違ってくるんでしょうか?
「『タテ回転』のピッチャーにはフォークが得意な人が多いですね。スライダーも落ちる系統のスライダーです。楽天の田中将大君がそうですね。逆に『軸回転』のピッチャーは横系統のスライダー、これにシュート、シンカーですね。ときどき、『タテ回転』のピッチャーで横系統のスライダーを覚えようとする者がいますが。あれはよくわからない」
――「タテ回転」のピッチャーには長身の選手が多いですね。
「必然的にそうなりますね。背の高いピッチャーは腕も長い。振り上げた腕をシンプルに振り下ろす動作をマスターしたほうがコントロールも身に付きやすい。
 逆に腕の長いピッチャーが『軸回転』をすると遠心力に負けてコントロールができなくなるんです。だから長身で腕の長いピッチャーが『軸回転』で投げようとすると大体、失敗します」
――一方の「軸回転」は体のキレが大事だということでしょうか。回転軸に腕をイメージする糸がついていて、それがビュンビュン回っている図を想像します。
「そうです。それでいいんです。要するにおもちゃのデンデン太鼓なんですよ。この要領がわかればしめたものです」
――「軸回転」を鋭く、より安定させるためには下半身の強さが必要でしょう。
「そうです。『タテ回転』の人も下半身は重要ですが、より重要なのは『軸回転』の人です。というのも『タテ回転』の人は下半身の安定感より、踏み出す強さのほうが求められるからです」
――メジャーリーグを代表するサウスポーのランディ・ジョンソン(ダイヤモンドバックス)は身長が208センチもありながら、「軸回転」で投げているような印象を受けますが。
「だから、あまりコントロールがよくないでしょう。本当はもっと上から放ったほうがいいんでしょうけど、彼はサイドハンド気味に放ることでバッターを威圧している。あれだけ腕の長いピッチャーが横から投げると、バッターは無茶苦茶、マウンドが近く感じられるはずですよ。それを計算してランディは横から投げている。あれはあれでいいんじゃないでしょうか」
――本来は「軸回転」なのに「タテ回転」をしている、あるいは「タテ回転」なのに「軸回転」を選択して失敗しているケースは?
「桑田の悪いときがそのケースにあたりますね。彼は本来『軸回転』なのに、なぜかときどき、『タテ回転』で投げようとする。そういうときは間違いなくスピードが落ちますね。それについては本人に話したこともあります」

 通算222勝は歴代13位タイ。23年連続勝利は米田哲也が持つ22年を抜く日本記録(いずれも2007年終了時)。西武、ダイエー、巨人の3球団で計11度の日本一を経験している。工藤こそはピッチングの裏も表もすべて知り尽くしたピッチャーということができよう。
 思い出すのは99年の日本シリーズだ。ダイエー対中日。下馬評ではソツのない野球をする中日のほうが有利だと言われていた。攻撃の中心がリードオフマンの関川浩一だった。
 初戦の先発を言い渡された工藤は「関川さえ塁に出さなかったらなんとかなる」と考えた。結論を述べればこのシリーズ、関川は21打数2安打、打率.095と沈黙した。初戦、工藤に4打数ノーヒットと完璧に封じ込められたことが最後まで尾を引いた。

<この原稿は『本』(講談社)2007年7・8月号に掲載されたものです>
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