中日の2人の主力選手が打ちまくっている。
 前半戦終了時点で、セ・リーグの打撃部門2位は和田一浩、6位は森野将彦だ。森野31歳、和田38歳。齢を重ねるに従って打撃技術を向上させている秘密はどこにあるのか。

 思い当たるのが3冠王3度獲得した落合博満監督のマンツーマン指導である。
 和田は落合を評して「違うランクの野球があることを教えてくれた人」と語っていた。
「(西武から中日に移籍して)まずオープンスタンスをスクエアに近いスタンスに変えました。開いていた足を元に戻そうとすると体重移動が大きくなる。その時間が無駄だと。
 狙い球については、とにかく真っすぐを打ちにいけと。変化球はキャッチャーミットにおさまるまでに時間がかかる。自分の中で時間がつくれるから対応ができるんだと。しかし真っすぐはそういうわけにはいかない。
 西武時代にバッティングの基礎については身につけていたと思っていたんですが、落合さんには体の使い方、仕組みを含め、もっと踏み込んだ部分について教えてもらった。
 そのことが去年あたりから、やっとわかるようになった。言葉にするのは難しいんですが、楽にボールが飛ぶようになったんです。“あっ! こんな感じでも飛ぶんだ”って。今までと違った感覚ですね」

 和田は昨年からバットを0.5インチ長くした。34インチ(約86.3cm)から34.5インチ(約87.6cm)に替えたのである。
「去年、(バットを替えた)最初の頃は、バットの違いがものすごく気になっていた。それが1年半くらい使って、ようやく馴染んできたという手応えがあります」
 バットを長くすれば、その分、しなりが利用できる。飛距離を伸ばしたいとの思いが、バット変更の背景にはあるようだ。
 実は落合も中日から巨人への移籍を機に34.5インチのバットを35インチのものに替えている。
「落合さんから具体的なアドバイスを受けたわけではない」
 と和田は語ったが、示唆された可能性は否定できない。
 もし、それが間違った選択であれば、すかさず落合からNGを出されていたはずである。

 森野も“落合教室”の優等生である。
 昨年、フリー打撃の途中に呼び止められ、身振り手振りで10分間も個人レッスンを受けたことがある。
「何を注意されたのか?」
 と問う記者の質問に森野はこう答えた。
「(バットの)出し方ですよ。“こねない”ということ。あれは効きましたね。子供の頃から少年野球でいつも言われていたこと。久々に言われてハッとしました。見透かされてるんだなと思った」
 理論家で知られる落合だが、指導法は難解ではない。むしろ、きわめてシンプルである。
 和田は「要するに無駄なことをするなということですよ」と説明してくれた。
 シンプル・イズ・ベスト。
 それが“オレ流”の要諦である。

 球史に残る強打者・落合にも“師匠”がいる。
 土肥健二という人物だ。通算打率2割6分8厘、44本塁打、199打点。ロッテ時代、主にキャッチャーとして活躍したが、レギュラーの期間は短かった。
 入団3年目の鹿児島キャンプ。落合の隣で“特打ち”をしていたのが土肥だった。
<「はぁ、うまいこと打つな。あれをまねできたら……。ヨーシ、オレもまねしてみよう」と思ったのがそもそものはじまりだ。
 勝手に先生と決めて、あの人が打ちはじめると必死で見た。
 ひと言で言うと、ハンドリング(腕の使い方)のうまさ。肩から下の腕の振りはすばらしいものだった。
 こねたりしないで、バットを素直にそのまま送り出すという感じなのだ。バットを放りなげるような感じでね。来たボールの軌道にうまいことからだを合わせて、そこからバットと腕のしなりを利用して払ってやるわけで、それがなんともうまかった。>(自著『なんと言われようとオレ流さ』より)

――落合さんにどんなアドバイスをされたんですか?
 以前、本人にこう訊ねたことがある。
 土肥の返答はこれまたシンプルだった。
「私が落合に教えたのは次の一点のみ。アウトコースは右に打て。インコースは左に打て。真ん中はセンターにはじき返せ。ただ、それだけです」
 技術は世代を経て伝承されていく。
 こうした視点でプロ野球を眺めると、さらに味わい深いものとなる。

<この原稿は2010年7月20日号『経済界』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから