シーズン途中でスワローズの監督を辞任した高田繁は現役時代、名外野手として鳴らした。
 巨人に入団した1968年に新人王を獲得すると、72年から4年連続で外野手のゴールデングラブ賞に輝き、V9に貢献した。
 過日、その高田と会う機会があり、「近年の外野手では誰がうまいですか?」と訊ねた。
 高田の答えは「新庄剛志」だった。

「ちょうど僕が北海道日本ハムのGMをやっている時に引退いたんだけど、派手なことをやる一方で、野球に対しては真面目だった。
 打球に関するカンはいいし、肩も強い。守備で魅せようという気持ちが強かったのか、こと外野守備に関しては一切、手抜きがなかったね」
 そして、苦笑を浮かべてこう続けた。
「だけど、ピョンピョンと飛びあがってボールを捕るのだけは、よくわからなかったな(笑)。
 外野手にとって一番、よくないのは目を動かすこと。“あんなことやって落としたらどうするんだよ”ってハラハラしていましたよ。あれだけは、未だに理解できない」

 この話を聞いて、現役時代の長嶋茂雄の守備を思い出した。
 ミスターは処理したゴロをサッと投げれば簡単にアウトになる場面で、クロスプレーになるのを楽しむように右手をヒラヒラさせながらファーストへ送球した。
 新庄のピョンピョンとミスターのヒラヒラが私には重なって感じられたのだ。
 そんな折、ミスターが書いた『野球へのラブレター』(文春新書)という本を見つけた。
 守備への思いが、こう綴られていた。

<ぼくは打、走、守では守備が一番好きだった。楽しかった。
 ファンに“遊び”というか、プレーヤーとして楽しんでいる部分、こんな風にやれば平凡なプレーでもファンに喜んでもらえるのではと日頃練習してきたことがハマったとき、ファンと一緒に喜べるのが面白かった。
 長嶋と言うと、先ず打撃をファンは思い浮かべるだろうが、打撃は瞬間の運動で“遊び”ができにくい。
 守備は、考え工夫した事を動きとして表現しやすい。これを“遊び”というのだが、だから楽しかった。>
 これを読めば“ヒラヒラ”も“遊び”の一環だったということが理解できる。
<先ず守る位置を考える。バッテリーのサインによる球種、それに対する打者の傾向をブレンドして打球の方向を予測する。
 ゴロの打球が飛んできたらその打球に向かう角度は送球しやすいよう調整し、大きなステップを取るか、待って取るか、前進するか……。考える要素はたくさんある。
 こうしたことは守りの基本だけれど、僕の場合はこれにプラスして派手なアクションである。
 華麗であってダイナミック、凡ゴロを捕ってもかっこよく見せる。派手に捕って、派手に送球する。送球した後も右手がヒラヒラとたなびいている。
 当たり前のプレーを誰もが出来ないようにやる“長嶋流”だ。「守りは確実でありさえすればよい」とする論者には顔をしかめられたけど、ファンは喝采してくれた。カメラマンも「絵になるね」と喜んでくれた。>

 バッティングは水モノである。どんな好打者でも3回に1回ヒットを打てばいい方だ。
 ホームランとなれば、年に40本打つバッターでも、3〜4試合に1本だ。
 ミスターのホームランを期待して球場に行っても、そうそう見られるものではない。しかし、守備で“長嶋流”に触れるチャンスは1試合に何度もある。
 おそらく、そこをミスターは意識したのだろう。新庄もそうだったのかもしれない。

 ミスターはこうも述べている。
<守備は好きだったけど、フライの捕球はダメだった。面白くない、ゴロの捕球のように「遊び」や「芸」を入れることができないからつまらない。それで苦手だったのかもしれない。>
 これも面白い自己分析だ。
 最近のプロ野球で守備でカネを取れるプレーヤーが何人いるだろう。
 巧い選手なら掃いて捨てるほどいる。しかしミスターのように、それだけではダメなのだ。
「遊び」と「芸」――。この2つに着目して、残り少ないプロ野球を楽しむことにしよう。

<この原稿は2010年10月8日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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