第1165回 再審「袴田事件」はボクシング界全体の闘い

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 1966年6月に静岡県清水市(現静岡市清水区)で起きた味噌会社の専務一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した元プロボクサーの袴田巌さん。47年7カ月の獄中生活を経て、今から10年前の14年3月、静岡地裁の決定で再審と釈放が認められた。<拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する>(静岡地裁)。30歳で逮捕された袴田さんは、78歳で釈放され、現在は88歳。浜松市内の自宅で、姉の秀子さんと2人で暮らしている。

 

 22年間にわたって袴田さんを追い続けたドキュメンタリー映画『拳と祈り―袴田巌の生涯―』(笠井千晶監督)が、この秋全国公開される。試写版の中の袴田さんは、ずっと歩き回っていた。家の中でも路上でも。ただ黙々と、急ぎ足で。狭い獄中でも、そうしていたに違いない。それは突然、自らの身に降ってきた不条理に対する「無言の抵抗」のようにも感じられた。

 

 たとえ絶望的な境遇に置かれても、絶対に諦めない、屈しない、へこたれない――。それは現役時代の袴田さんのファイトスタイルそのものではなかったか。最高位は日本フェザー級6位。1960年に記録した年間19戦は、今も国内レコードだ。肉体的にも精神的にもタフでなければ、これだけの試合はこなせない。

 

 ドキュメンタリー映画には、袴田さんの無実を信じ、長きに渡って支援を続けてきたボクシング関係者も登場する。その中のひとりが元東洋太平洋バンタム級王者で、袴田巌支援委員会委員長の新田渉世さんだ。

 

 新田さんが東京拘置所で袴田さんに初めて面会したのは07年6月。会うなり袴田さんは「あんたの顔はポパイに似ている。こういう顔は打たれ強いんだ」と言った。ボクシングの技術に話が及ぶと、身を乗り出してきた。「左フックの話になった時のことです。フックには、拳を倒して打つ“ヨコ拳派”と拳を立てて打つ“タテ拳派”がいる。僕はタテ拳派なんですが袴田さんはヨコ拳派。拘禁症状を心配しましたが話は、しっかり噛み合いました」。

 

 昨年3月、東京高裁は再審開始を認める決定をした。その直前、新田さんの「袴田先輩の再審無罪を訴え、世論を喚起したい」との呼びかけに応じた世界王者の中谷潤人ら多くのボクサー、元ボクサーが高裁前に集結し「裁判官の心ある判決を」と訴えた。

 

「日本のアスリートやスポーツ団体は社会的な問題に対し、あまり声を上げない。なぜボクシング界だけは違うのか」。12日、外国特派員協会の記者会見で、新田さんにそんな質問が飛んだ。「取り調べ資料には“ボクサー崩れ”という表現があるが、それは袴田さんひとりに向けられたものではない。また僕たちボクサーは打ったり打たれたりしながら、互いの痛みを共有し合っている。もちろん袴田さんの心の痛みも…」。9月26日、多くのボクサーが見守る中、静岡地裁でやり直し裁判の判決が言い渡される。

 

<この原稿は24年9月18日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

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