ピッチャーはひとつのボールをきっかけにして、一皮むけることがある。昨季、セ・リーグの投手部門で3冠(最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振)に輝いたマエケンこと前田健太のそれは昨年4月8日、東京ヤクルトの田中浩康に投じたストレートだった。
 舞台は神宮球場。3回裏二死無走者、カウント2−2。糸を引くようなストレートが外角低めへ。田中のバットはピクリとも動かなかった。

 マエケンの回想。「これまでは腕に力を込めて投げていた。ところが、この一球に限ってはストライクを取りにいこうと“抜き加減”で投げた。リリースの瞬間のみ100の力を集める、あとは無駄な力を一切、使わない。極端に言ったら、体全体から力を抜いてから投げるイメージ。すると驚くほど低めにボールが伸びていった。結果は見逃し三振。“あぁ、こういう投げ方をすればボールがいくんだ”と……」

 ここまでの話は以前にも書いた。マエケンマニアでなくても、ご存知の方は少なくあるまい。しかし“運命の一球”には伏線があったのだ。

 過日、私がインタビュアーを務めるBS朝日「勝負の瞬間(とき)」という番組に出演してもらった(1月30日放送)。自主トレ地の沖縄市はこの冬、一番の冷え込み。ホテルの一室で食い入るように映像をにらむ。「このプレーが大きかった」。振り返ってマエケンは言った。

 実は田中を打席に迎えた時点での状況は1死一塁だった。4球目、一塁ランナーの飯原誉士が二盗を企てた。キャッチャー石原慶幸の送球はノーバウンドで二塁のベースカバーに入ったショート梵英心のグラブへ。待ち構えるように右足にタッチしてアウトカウントをひとつ増やした。

 件のシーンをひととおり見終えてからマエケンは言った。「もし盗塁が成功して(1死二塁となって)いれば、あのままセットポジションで投げなければいけない。そうなれば、あの感覚は得られていないでしょう。2アウトになり、“ヒット1本打たれてもいいや”くらいの気持ちで投げたこともよかったのかもしれない……」

“運命の一球”の背景には、以上のような伏線があったのだ。となれば助演男優賞は石原か。彼の肩こそが沢村賞投手の生みの親だったと言うこともできる。

<この原稿は11年1月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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