第1167回 問われる存在意義 国民のための「国スポ」であるべき

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 国民体育大会(国体)から国民スポーツ大会に改称して初めての大会となる「SAGA2024国民スポーツ大会」が15日、閉幕した。5日に行われた開会式では、小雨が降る中、「薩長土肥」が日本に夜明けをもたらしたとのナレーションをバックに、地元の人々が「さが維新おどり」を披露した。また同県の山口祥義知事は開会宣言で「佐賀県は日本史の転換の舞台となってきた。スポーツも今、転換の時だ」とスピーチし、「新しい大会」であることを強調した。

 

 国スポは岐路に立っている。きっかけは昨年11月の全国知事会。行政スリム化の一環として見直しの検討を政府に要請した。今年4月には全国知事会会長の村井嘉浩宮城県知事が「個人的には廃止もひとつの考え方だ」と、さらに踏み込んだ。

 

 国スポ見直しの動きは今に始まったことではない。肥大化や大会ごとに開催地を渡り歩く“国体傭兵”の存在を疑問視する声は以前からあり、02年には橋本大二郎高知県知事が「県外からの有力選手を受け入れる得点獲得を目的とした強化策は考えていない」と明言し、高知県は39年ぶりに開催県としての総合優勝(天皇杯)を逃した。

 

 国スポは日本スポーツ協会、文部科学省、開催地の都道府県の共催方式により、毎年、持ち回り制で開催される。前身の国体は「国民の体力向上や健康増進」「地方スポーツの振興や地方文化の発展」に寄与することを目的に戦後間もない1946年にスタートした。全国至るところに「国体道路」があることでもわかるように、国体によって交通インフラは整備され、国民の体力向上や健康増進にも貢献した。

 

 しかし、2巡目に入って以降、国体の意義は少しずつ薄れ始め、メリットよりもデメリットを訴える首長が増えてきた。たとえば2030年の開催が決まっている人口約64万2千人の島根県。開催費用は約265億円と見積もられているが、国からの補助金は約5億円。「血の小便を出してなんとかやれる」と同県の丸山達也知事。「今のまま3巡目に入るのであれば廃止すべき」とも語っていた。2巡目の最後は2035年の三重大会(内定)。3巡目以降は、まだ正式決定していない。

 

 国スポの持続可能性を探るのであれば、費用面での負担割合の見直し、簡素化は避けられまい。53年の国体は四国4県による共同開催だった。こうしたブロック開催、複数県開催も視野に入れるべきだろう。

 

 しかし、そうした存続に向けた方法論以上に大事なことがある。国スポと言いながら、いったいどれだけの国民が興味や関心を持っているのか。国スポという以上は、最大の受益者は国民でなければならない。開催意義の再構築が求められている。

 

<この原稿は24年10月16日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

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