水谷隼といえば日本卓球界のエースだ。1月に行なわれた全日本選手権で男子史上初の5連覇を達成した。日本で敵なしの強さを誇る水谷は、昨年の国際卓球連盟(ITTF)プロツアー・グランドファイナルで日本人初Vの快挙を成し遂げた。ITTFの世界ランキングでも7位に入り、強豪と肩を並べている。5月の世界選手権では日本人として32年ぶりとなるシングルスのメダルを目指す。
 数々の記録を塗り替え、天才と称される水谷のプレースタイルを、08年の原稿で振り返る。
<この原稿は2008年8月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 平成生まれの夏季五輪代表内定第1号。表情はあどけないが、ラケットを持つと大人に見える。
 水谷隼19歳。この国の卓球界が生み出した久々の天才プレーヤーである。
 05年、15歳10カ月の日本男子史上最年少で世界選手権に出場、07年には17歳7カ月の、これまた史上最年少で全日本選手権を制した。
 現在、世界ランキング23位。北京五輪では表彰台を目指す。

 水谷が卓球を始めたのは5歳の時だ。卓球選手だった両親の影響を受けた。家には卓球台があった。
 物心がつく前に右利きから左利きにかえた。
 その方が有利なのか?
「いや、そうじゃないですね。相手はやりにくいかもしれないけど、自分だってやりにくい。全体的には互角ですよ。父親が左利きの方が有利だと考えたようですけど、まぁ“初心者意見”というやつですね」
 話しぶりは、きわめてクール。この道で何年もメシをくってきたベテランと話しているような錯覚にとらわれる。
 バルセロナ以来4大会連続五輪代表で、プロ第1号の松下浩二がこう言って舌を巻く。
「普通、あの年齢だと来るボールすべてに対し強く打ち返したくなるものなんですが、彼は弱いボールや回転のないボールを入れたり、サイドからボールをかけたりといろいろなことをやってくる。あるいはスピンをかけたりかけなかったり。相手からすれば何をしてくるかわからないやり辛い選手。
 卓球の世界では0.2秒くらいが反応の限度だといわれている。しかし、彼はそれ以上に速いボールに対してもきちんと反応できている。要するに予測能力が高いんです。相手の打つ動作を冷静に観察しているから、動じることがないのでしょう」

 水谷自身、「天才」と呼ばれることに関して、どう考えているのか?
「いやぁ……。きっとプレースタイルを見て、そう思うんでしょうね。このプレースタイルは自分が練習の中でつくり上げてきたものであって、急に出来上がったものじゃない。だから僕は天才ではないですよ」
 松下が高く評価した「予測能力の高さ」についてはどうか。
「僕が見ているのは相手の動きと打点です。特に打点は大切。(打点が)低いと角度的に打つコースが限られてきますから。付け加えるなら自分がかけた回転。これによって相手がどんなコースに返してくるかが大体わかる。
 この世界では“サーブ3球目”とよく言うのですが、サーブの後に返ってくるボールが一番わかりやすい。そこを狙う。2つ3つ先まで読むのは大変ですが、サーブの次のボールなら読むことができる。ここが勝負ですね」
 解説もわかりやすい。頭の中にも卓球台が入っているようだ。

 早くから頭角を現し、14歳でドイツに卓球留学した。99年の世界選手権で惨敗したのを受け、日本協会は01年に「英才教育プロジェクト」を立ち上げ、若年層のエリート教育に乗り出した。
 水谷に留学の橋渡しをしたのが現監督の宮崎義仁である。
 水谷が小学生の頃、宮崎は既に「これは本物になる」と確信を抱いていた。
「ドイツに行かせませんか?」
 そう水を向けると、最初、両親は、
「そこまで強くなりますかねぇ」
 と半信半疑だったという。
 宮崎の回想――。
「両親を説得し、ドイツに留学させたのは彼が中学2年の時です。中3で初めてジャパンオープンに出た時、世界ランキング100位のブラカノフというベルギーの選手と大接戦を演じた。これは、もう間違いないなと。
 確かにセンスはあった。しかしまだ体に力がなかった。それが徐々に体ができてき、この1年でランキングを一気に70位ぐらい引き上げた。
 思い出すのはアテネで金メダルを取った韓国のユ・スンミンです。彼はアテネ五輪前に急にランキングを上げてきて、五輪では(金メダル候補だった)中国人選手を全員破った。水谷も昨年末のランキングは30位ですが、実力的には世界ランキング一ケタに匹敵する。この勢いで五輪に出たら、もしかしたら、という期待が持てますね」
 水谷にそこまで惚れ込んだ理由は何か?
「卓球は半分が攻撃で半分が守りなんです。攻めは練習でガンガンやっていけば何とかなるんです。だけど守りはそうではない。彼の打たれ強さ、これはもう天性のものがあります。
 たとえば、相手のサーブをレシーブしますよね。ボールが浮いたりすると、もうノータッチですよ。ところが彼は絶対に返すんです。すると相手はもっと力を入れてくる。そこにミスが生まれる。
 ビデオを見ると、もう恐ろしくなりますよ。相手を完全に手玉に取っている。これぞ“水谷ワールド”の真骨頂です」

 北京五輪まであと24日。メダルへの条件を、本人はどう考えているのか?
「バックハンドのカウンタードライブを多めに練習したいと思っています。要するに相手がドライブをかけてきたボールにさらにドライブをかけるんです。
 強い相手になればなるほどボールの回転が複雑になる。どんなボールでも打てるわけではないのですが、打てるボールと打てないボールの見極めだけはしっかりやっておきたい。そして打てるボールはしっかり打つ。打てないボールはしっかりとつなぎチャンスを待つ。無理して打ってもミスにつながるだけですから……」
 表彰台を目指すには、中国の3強と言われる王皓、馬琳、王励勤を倒さなければならない。アウェーゆえのプレッシャーも予想される。
「アウェー? 自分が何かしてかわるなら努力もしますけど、どうしようもないものは受け入れるしかないですね」
 淡々と答えた。
 この分なら五輪の大舞台も心配あるまい。平成生まれ初の五輪メダリスト誕生なるか。
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