「五輪は自分を隠せない場所」<後編>
二宮清純: 前回に引き続き、この夏に行われたパリ五輪での卓球の話を中心に伺いたいと思います。2個(団体銀、シングルス銅)のメダルを獲得した女子に比べ、男子はメダルなしに終わりました。
平野早矢香: 水谷隼さんと丹羽孝希選手が抜けた穴(水谷さんは現役、丹羽選手は国際大会からの引退)は大きかった。ただし男子日本代表は、勝ってもおかしくない試合もありました。勝ち切れなかったのは、現地で見た限り、技術面はさることながらメンタル面、戦術面で足りない部分があったように感じました。「若いチームだから仕方がない」という意見もありますが、私は「若さ」で片付けるのではなく、研究と反省をしなければいけないと思います。
二宮: 男子のエース張本智和選手は3種目(団体、シングルス、混合ダブルス)に出場しましたが、団体は4位。シングルスは準々決勝で敗退、早田ひな選手と組んだ混合ダブルスは1回戦敗退でした。
平野: 張本選手はパリ五輪前のワールドツアーで2大会連続3冠(シングルス、ダブルス、混合ダブルス)を獲っていました。オリンピック前の公開練習を見ましたが、足の動きもスムーズで体にキレがあり、調子がとても良さそうで充実しているように映りました。しかしパリ五輪で張本選手が負けた試合は、各種目とも要因が異なりますが、メンタル的にもう少し攻め切っていれば……と思いました。
二宮: 勝ちを意識し過ぎて、守りに入ってしまったと?
平野: そうですね。張本選手にスイッチが入った時の勢いは誰にも止められない。たとえ中国の選手だって止めるのは難しいくらい、素晴らしい力を持っています。しかし今回は競った場面、ここぞのポイントで相手選手の方が向かってきていたように見えました。団体準決勝のスウェーデン戦、2対2の同点で第5試合に登場した張本選手は2ゲームを先取しました。勝利まであと1ゲームというところで、ボールを置きにいくプレーや受け身に回ってしまうシーンが目立ちました。相手側からすると2ゲーム取られているので、どうせ負けるのであればと開き直って勝負してくる。そうなった時に張本選手がもうひとつギアを上げて、相手をねじ伏せるような強気な戦術と気持ちがあったら良かったのかなと……。このあたりの駆け引きが卓球の難しいところですね。
二宮: このままでは勝てないとなれば、相手も戦う土俵を変えてくるでしょうね。
平野: そうなんです。張本選手はフランスとの団体3位決定戦で、シングルス銅メダリストのフェリックス・ルブラン選手と対戦し、2対3で競り負けました。スウェーデン戦がメンタル面を敗因とするならば、このフランス戦は戦術面が敗因でした。この試合は勝負のポイントで、自分がやりたいことではなく“相手がやりにくいかたち”を選択できればと感じました。
二宮: 実力が拮抗していると、互いに持ち札の切り合い、腹の探り合いみたいなところがあるんでしょうね。張本選手を見ていると、ややもすると大舞台で勝負弱いように映ります。オリンピックという特別な舞台が彼を狂わせるのでしょうか。
平野: それもあると思います。張本選手はすごく賢く、自分の立場をよく理解している。今回の団体戦では自分が2点(2勝)取らなければ勝てない。日本のエースとしての責任を理解しているがゆえに、怖いもの知らずで戦うことができなかった。水谷さんを破って全日本選手権を優勝し、2017年の世界選手権でベスト8に入った頃と同じようにはできないにしても、今回の日本チームは挑戦者と言える立場でした。日本のため、チームのためということを一旦置いておいてでも、努力を重ねてきた自分のために戦うというような、もう少しシンプルな気持ちで戦う方が彼自身の能力を発揮できると思います。
裏をかくリスク
二宮: 大舞台の怖さを知っているがゆえに、ということでしょうね。
平野: はい。そこで二宮さんにお聞きしたいことがあります。冷静に戦術を判断することは重要ですが、“世界一になるんだ!”というシンプルな気持ちで思い切り相手にぶつかりにいった方がいい時もあるじゃないですか? 現実を見過ぎてもいけないというか。このあたりのバランスって難しいですよね?
二宮: 難しい質問ですね。もちろん経験がないよりあった方がいいと思いますが、その一方、弱冠14歳でバルセロナ五輪(競泳女子200メートル平泳ぎ)の金メダルを獲得した岩崎恭子さんの例もあります。経験がないからこそプレッシャーを感じずにのびのびと戦えた。力が発揮できるか否かはその人のタイプにも依りますからね。考え過ぎて失敗した例で言えば、今年のパリパラリンピックの車いすテニス男子シングルス決勝で小田凱人選手に敗れた英国のアルフィー・ヒューエット選手です。ヒューエット選手はマッチポイントでドロップショットをミスしましたが、あれで流れを小田選手に渡してしまった。このように深読みした結果、凶と出ることもあります。
平野: 卓球にも同様のケースがあります。たとえば相手がバック側へのボールを待っている時に違うコースを選択することもありますが、あえて待っているコースに打ち、それでも“自分の方が点を取れる!”といった横綱相撲のような戦術が功を奏す場合もあります。
二宮: スポーツにおいて、相手の裏をかいて成功する例はたくさんありますが、逆に裏をかこうとして失敗した例も多い。高校野球でスクイズを敢行したチームは、負ける確率が高い。正攻法でいった方がいい場合もありますね。
平野: 裏をかいたり、逆をつくリスクも当然ありますからね。その選択とタイミングが非常に難しい。卓球の場合、考え過ぎてしまって足が止まってしまうということも多々あります。
二宮: 策に溺れるということでしょうね。卓球は勝負どころで、その選手の性格が表れますね。
平野: そうですね。私は2008北京、12年ロンドンの2大会オリンピックを経験して思ったのが、オリンピックこそ自分の全てが出る場です。日常的にどんな取り組みをし、準備しているか。その心構えはオリンピックの時に繕ってもダメなんです。いやが上にも選手は自分自身や結果と向き合うことになる。私はオリンピックの舞台は自分を隠せない場所だと思うんです。
二宮: 4年に1度の特別な大会ではあるが、ある意味、日常の延長線上にあるものだと?
平野: はい。普段からオリンピックを戦い抜く考え方、生き方にしていけないということを、北京五輪を経験して気付かされました。
二宮: 今回パリ五輪を視察に行かれたそうですが、卓球会場の雰囲気はいかがでしたか?
平野: 私がすごく素敵に感じたのは、敗者に対しても観客が温かったことです。選手が退場する際、立って拍手をして送り出す。選手がこういう環境で試合をしたいと思えるような、素晴らしい雰囲気でした。試合を観る側のクオリティーが高く、時には観客が試合の流れを変えるというくらいの盛り上がり方をしていました。行く前はヨーロッパの選手に対して声援が多いのかなと思っていたのですが、いいプレーが飛び出せば、どの選手に対しても拍手を送っていました。
卓球界の潮流
二宮: 今回はフランスが男子団体とシングルスで銅メダル、スウェーデンが男子団体とシングルスで銀メダル。中国1強という男子の勢力図に風穴を開けたような印象です。
平野: 私は近年の両国の躍進ぶりを見ると、獲るべくして獲ったメダルだと思います。シングルスと団体で銀メダルを獲得したスウェーデンのトルルス・モーレゴード選手は2021年の世界選手権男子シングルスでも銀メダルを手にした実力者です。フランスのルブラン兄弟(兄アレクシス、弟フェリックス)にしても世界ランキング、実績を見ると、今回の結果がたまたまでないことが分かります。シングルスと団体で2冠の中国は、今回のパリ五輪に出たメンバーこそ強力でしたが、次世代の選手がまだ育ってきていない。選手層という点で言うと、若干の不安が残ります。
二宮: ところで卓球において数年前からチキータ(強い回転をかけるバックハンドの台上プレー)という言葉がよく聞かれるようになりました。今後も新たな技術が生まれてくるんでしょうね。
平野: 今すぐ新たな技が出てくることはないかと思います。ただ卓球にはスマッシュとドライブという技術があります。スマッシュはラケットでボールを強く弾いて直線的にボールを飛ばします。一方のドライブはボールを擦るように打ち、回転をかけたボールが弧線を描くように飛んでいきます。今の主流はドライブで、スマッシュを打つ選手が少ない。ただ今はドライブもハードに当てて、擦る。いわゆるスマッシュとドライブの中間のような打ち方が増えてきたように感じます。
二宮: 昔は卓球台から離れ、ひたすらレシーブを徹底するカットマンという戦型がありましたが、近年は珍しくなりましたね。
平野: 今はカットマンの選手も、攻撃をする割合が以前よりもかなり増えました。試合球の大きさや質が変わったことが大きな理由です。以前は打球の回転量や回転の変化で相手のミスを誘うことができたのですが、ボールが大きくなり、セルロイドからプラスチックに変わったことで、それが難しくなりました。
二宮: さて、平野さんは日本卓球協会理事も務められていますが、卓球人口は増えてきているのでしょうか?
平野: おそらくリオデジャネイロ五輪から東京五輪までの間が一番増加していたと思います。現在は少子化の影響もあり、若干減少しています。リオ五輪は男子がメダルを獲ったことによって、中学生の競技人口がグッと増えたと聞きました。
二宮: 今後、卓球の指導者になることは考えていない?
平野: ミキハウスではスポーツクラブアドバイザーとして時々選手を指導することはありますが、チームに常駐しているわけでありません。ただ卓球の講習会やイベントなどに参加して、普及活動はどんどんやっていきたいと思っています。加えてアスリートの教育の分野にも興味があり、今後は何らかの形でそういった活動もできればと考えています。自分自身の経験から、アスリートは狭い世界で生きていると感じたので、セカンドキャリアにも繋がる教育や学びは必要だと伝えていきたいです。
二宮: 平野さんの解説はわかりやすく、これだけ話せる元アスリートはそうはいない。シャープで頭の回転も早い。お話していると卓球のラリーをしているようですよ。
平野: ありがとうございます! 引退後、話すことに対して特別な勉強をしたわけではなく、色々な方にアドバイスをいただきながら自分なりに考え、修正しながらここまで来たので、二宮さんにそう言っていただきとてもうれしいです。
(おわり)
<平野早矢香(ひらの・さやか)プロフィール>
1985年3月24日生まれ、栃木県鹿沼市出身。5歳から卓球を始める。仙台育英高校を経て、ミキハウスに入社。18歳で全日本卓球選手権女子シングルスを初制覇。以降、計5度の日本一に輝くなど日本女子卓球界のトップに君臨した。五輪には北京、ロンドンの2大会に出場。2012年ロンドン五輪では女子団体戦のメンバーとして日本史上初の銀メダル獲得に貢献した。16年4月に現役引退。22年、公益財団法人日本卓球協会理事に就任。現在はミキハウススポーツクラブアドバイザーを務める傍ら、スポーツキャスターや講演、卓球指導者としても活躍中。テレビ解説や卓球教室を通して競技の普及にも努めている。