第1170回 力道山と暴力団員とホステス あの夜の“もしも”

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 今年は戦後最大のヒーロー力道山の生誕「100年」にあたる。カギカッコ付きにしたのは、日本統治下の朝鮮・咸鏡南道(ハムギョンナムド)で生まれた力道山(本名・金信洛)の朝鮮戸籍には、別の生年月日が記されていたからだ。

 

 力道山は1963年12月8日、東京・赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテンクォーター」(NLQ)で暴力団員の村田勝志に腹部を刺され、それが原因で1週間後の15日、不帰の客となった。享年「39」。

 

 興味深い話がある。それは刺した村田も、刺された力道山もKというホステスを気に入っていたというのだ。いったい、どんな女性だったのか。過日、NLQの山本信太郎元社長から直接、話を聞いた。89歳ながら未だ眼光鋭く、大学の空手部出身ということもあって、背筋はピンと伸びていた。

 

 NLQは伝説のナイトクラブである。ナット・キング・コールやサミー・デイヴィスJr.らのショーを目当てに政財界の要人から裏社会の大物、芸能界やスポーツ界のスターでにぎわった。その活況ぶりは、さながら東洋一の“夜の社交場”の様相を呈していた。

 

 ホステスも選りすぐりだった。山本によると、Kは年の頃30。器量だけでなく、機転のはやさ、きっぷの良さ、接客態度のどれをとってもピカイチで、「安心して大事なお客さんを任せることができた」という。「そうでなければ、力道山の相手は務まりませんよ」

 

 店内にはバーもあり、やがて力道山はKを伴って移動した。そちらの方が静かで、話しやすかったからだ。そこで力道山はグラスをがりがりとかじり始めた。酔っ払うと出る力道山の悪い癖で、血だらけになった口のまわりをKがナプキンでぬぐった。

 

「リキさんがトイレに行かれました」。ホール係から連絡を受けた山本は「そろそろお帰りかな」と思ってトイレ近くのロビーで、力道山を待っていた。目の前を黒い影が通り過ぎた。それが村田だった。

 

 口論の後で力道山が胸を突くと、後ろ向きに倒れた。そのはずみで、登山ナイフの鞘が山本の前に飛んできた。すぐさま立ち上がった村田は力道山に飛びかかり、左手を首に巻き、右手に持ったナイフで腹部を刺した。「馬乗りになって殴る力道山を村田が下から刺した」との説があるが、それはあくまでも俗説で、村田の背中越しに、力道山が刺されるのを山本は見た。もつれ合ったように2人が倒れたのは、その後だ。

 

 この夜、結局Kは村田の席にはつかなかった。「女性客が2人いたので遠慮したのでしょう」と山本。村田はKは休みだと思ったらしい。力道山と村田は面識があった。もしKが村田の席についていたら、事前に力道山の来店を伝え、うまくとりなしていたかもしれない。もうすぐ62回目の命日が巡ってくる。

 

<この原稿は24年11月20日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

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