第1171回 独立L「生みの親」石毛宏典再評価の時

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 守備の名手に贈られる三井ゴールデン・グラブ賞をセ・リーグ捕手部門で初受賞した山本祐大(横浜DeNA)は「ベースボール・チャレンジ・リーグ」の滋賀ユナイテッドBC(現在は消滅)の出身である。独立リーグ出身者としては、初の同賞受賞となった。

 

 国内には現在、7つの独立リーグがある。NPBに所属する独立リーグ出身者は54人(今季終了時点)を数える。

 

 現存する7つのリーグの中で、最も古い歴史を誇るのが、西武などで活躍し、オリックス監督も務めた石毛宏典が05年に立ち上げた「四国アイランドリーグplus」。今年で20年目のシーズンを終えた。12年、16年のパ・リーグ首位打者・角中勝也は、高知ファイティングドッグスの出身だ。

 

 05年4月29日、松山・坊っちゃんスタジアム。アイランドリーグ開幕戦での石毛のスピーチが忘れられない。「花壇ができました。100名のタネを持った若者が花を咲かせようと今日から努力します。皆様方の水と肥料が必要です」

 

 石毛は現役引退後、ダイエー球団職員の肩書でドジャースにコーチ留学した。マイナーリーグを巡回するうちに、独立リーグの存在を知った。それが石毛の目には「花壇」に映った。そこには若い日本人選手の姿もあった。「なぜ、わざわざ米国にまで来る必要があるのか。ならば、いつか自分が受け皿をつくろう」。それがきっかけとなり、構想を練り始めた。

 

 02年、石毛は3年契約でオリックスの監督に就任したが、03年のシーズン中に解任された。会社都合の契約解除のため、1億5000万円の残金を手にした。それを元手に運営会社を設立し、独立リーグの経営に乗り出したのである。

 

 しかし、事は順風満帆には進まなかった。NPBからは「アマ」と見なされ、アマチュア団体からは「プロ」の扱いを受けた。行政やスポンサー企業に説明を求められるたびに、石毛は「我々はプロです」と明言し、続けた。「ただし、地域に根付いたリーグです。行き場のない選手の受け皿に加え、OBのセカンドキャリア、地域振興にもお役に立てると思っています」

 

 コーチを依頼するためOBに声をかけると、例外なく「報酬は?」と聞かれた。NPBの相場の半分くらいの額を提示すると「安い」と言って断られた。指導者としてのキャリアを積むための場として、好意的に受け止められるようになったのは、しばらくたってからだ。

 

 やがて経営陣の間で対立が生まれ、石毛はコミッショナーに祭り上げられ、その座も追われる。経営者としての未熟さが露呈したと言えばそれまでだが、だからといって創業の功労まで否定するのは誤りだ。NPBへの人材供給の新たなるサプライチェーンを構築した功績は、20年たった今、十分再評価に耐えられるものだと考える。

 

<この原稿は24年12月4日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>

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