第1169回 ハマの番長は「ゴリラ型リーダー」だ
「ボス」と「リーダー」は違う――。霊長類学者でゴリラ研究の第一人者として知られる山極壽一さんの持論だ。
ざっくり言うと、こういうことだ。ボスは、力と権威によって群れを統率する。自らの地位を脅かそうとする者や方針に反する行動をとる者に対しては、ためらうことなく制裁を加え、逆心を許さない。俗にいう“サル山のボス”がそれで、ニホンザルの生態に見られるという。
一方、ゴリラの社会では、サル山に見られるようなヒエラルキーは存在しない。群れを率いるのはボスではなくリーダーで、「仲間から信頼され、担ぎ上げられて初めてリーダーになる」のだという。
プロ野球の世界に目を転じてみよう。かつては随分ボスタイプが幅をきかせていた。それは呼び名でも明らかだ。「御大」鶴岡一人、「親分」大沢啓二、「闘将」西本幸雄。星野仙一もこのタイプだろう。
もちろんボスはボスなりに大変だ。部下に弱音は吐けないし、敵に後ろ姿は見せられない。星野は生前「監督とは孤独な仕事」と語っていたが、その言葉にはラスボスとしての誇りと自負がにじんでいた。
それでもボスが「孤独」に耐えられる能力と体力を有しているうちは、まだいい。強権的なボスの場合、うちのめされると、瞬時に権威は失墜し、部下は離れていってしまう。力を失ったサル山のボスが陥る孤立化である。その意味で「孤独」と「孤立」は似て非なる言葉なのだ。
翻ってゴリラのリーダーは孤立しない。仲間うちに共感に基づいた一定程度の信頼関係があるため、たとえ対立しても最悪の事態には発展しにくいというのだ。山極さんはこうも述べている。<ボスに君臨し続けるためには、常に自分の力を見せつけないといけない。リーダーというのは周囲の期待にこたえるべく振る舞えるかが問われる>(PRESIDENT 2015年3月2日号)
多少のパワハラが許された昭和ならともかく、今の時代、プロ野球に限らずボスが組織を統率するのは容易ではない。メンバーの民意を丁寧に汲みとり、それを果実に結びつけるためにはゴリラ型リーダーの振る舞いが求められる。
ベイスターズを26年ぶりの日本一に導いた三浦大輔が8月27日の阪神戦で、ストライクの入らないローワン・ウィックをマウンド上で一喝した時、少々やり過ぎだと感じた。昔、ヤクルトのチャーリー・マニエルが、広岡達朗監督から外野守備の不安を理由に、イニング中にベンチに戻された時、「オレに恥をかかせやがって」とヘソを曲げたことがあり、尾を引いた。それを思い出した。
しかし、11月4日付けの本紙に<すぐにウィックに謝罪>という裏話が紹介されていた。謝罪は勇気のいる行為だ。群れを率いるのではなく、群れをまとめる能力。ハマの番長はゴリラ型のリーダーのようだ。
<この原稿は24年11月6日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>