田澤純一はNPB(日本プロ野球組織)の指名を回避して、メジャーリーガーとなった初の日本人プレーヤーだ。2008年、NPB入りを拒否した田澤は、ボストン・レッドソックスと3年契約を結んだ。その決断は、NPBがアマチュア選手の海外流出防止策を設けるほど、異例のことだった。
 田澤はアメリカに渡ると、1年目からメジャーデビューを果たし、初勝利をあげた。
 しかし、さらなる飛躍を期待された彼に苦境が訪れる。2年目の開幕直前、右肘じん帯の損傷が見つかり、結局そのシーズンは手術とリハビリで1年を棒に振ることとなったのだ。今季は契約最終年を迎え、先発ローテーション入りを目指す。正念場に立たされた彼は、果たしてメジャーの一線で活躍できるのか。
 そこで、レッドソックス入団前の田澤に対する期待と不安を、08年の原稿で振り返り、その可能性を探る。
<この原稿は2008年12月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 ひとりのアマチュア選手がプロ野球のルールまで変えてしまった。それだけでも彼は偉大なプレーヤーである。
 田澤純一、22歳。
 この9月、メジャーリーグ挑戦を表明した。これまで自らNPB(日本プロ野球組織)の指名を回避してメジャーリーガーになった者は、ひとりもいない。彼がメジャーリーグのどこかの球団と契約を結べば、初のケースとなる。

 さてNPBが新たに設けたアマチュア選手の海外流出防止策とはどういうものか。ドラフト対象選手がNPBのドラフト指名を拒否して外国球界でプレーして日本に帰ってくる場合、高校生は帰国から3年間、大学生・社会人は2年間、NPBドラフト指名を凍結する――。要するに「第2の田澤を出すな」というわけだ。
 何とも狭量な態度だ。
 思い出すのは野茂英雄がメジャーリーグ挑戦を表明したときのことだ。当時のコミッショナー吉國一郎氏は「第2の野茂を出すな」との通達を12球団に出した。
 ところが野茂が1年目から大活躍し、オールスターゲームにも出場すると、「日本人として誇りに思う」との電報を送った。
 それを見た野茂は「こういうのを掌返しいうんでしょうね」と呆れたような表情を浮かべて語った。
 NPBは再び同じ間違いを犯そうとしているような気がしてならない。

 そもそもメジャーリーグの複数球団が興味を示す田澤純一とはどのようなピッチャーなのか。
 社会人球界ナンバーワンのライトハンダーで、今夏の都市対抗では新日本石油ENEOS(横浜市)の優勝に貢献し、橋戸賞(最優秀選手)に輝いた。
 全5試合のうち、3試合に先発し、4勝をあげた。28回1/3イニングを投げ、防御率1.27、36奪三振。日米両国のスカウトが東京ドームのネット裏から熱い視線を送っていた。
「決勝は意外に楽でしたね。準決勝が一番、厳しかった。優勝の実感? いや、そこまでの実感はないですね。本当に優勝したんだなと……」
 言葉数は多くない。このあたりも社会人野球時代の野茂英雄によく似ている。
 田澤の評価を絶対的なものにしたのはこの3月、JABA東京スポニチ大会のJFE東日本戦で記録した4安打完封劇。奪った三振、実に18。これは1974年に山口高志(当時松下電器)が樹立した16奪三振の大会記録を34年ぶりに塗り替えるものだった。
 山口高志といえば、日本野球史上に残る豪速球投手である。伝説の男が持つ記録を塗り替えたのだから、喜びはいかばかりだったか……。
「いや、試合が終わるまで気付かなかったんです。キャッチャーも知らなかった。試合後、スタンドから“記録らしいぞ”と言われて“あぁ、そうなんだ”とやっと気付いた。別に狙って(三振を)取っていたわけではないし……」
 どこまでもクールな男だ。

 メジャーリーグに興味を持つようになったのは大久保秀昭監督の「(メジャーリーグという)選択肢もあるぞ」という一言。それまではメジャーリーグに特別な興味があったわけではなく、宿舎のテレビで流れているゲームを観るぐらいだった。
 大久保の話。
「昨年、ワールドカップが終わった頃(11月)からメジャーリーグのスカウトが来るようになりました。“(メジャーリーグで)やってみる気はあるのか本人の意思を確認してくれ”と。最初、本人は“エッ!?”という感じでした。“8月の都市対抗前には方向性をはっきりさせよう”と。それで都市対抗が始まる前に本人に話を聞くと“メジャーリーグにトライします”とはっきり口にしました」
 昨年11月、台湾でワールドカップが行なわれ、日本は準決勝でキューバに敗れた。田澤はその試合に3番手として登場し、好投した。
 こうした国際試合体験もメジャーリーグに興味を持つきっかけのひとつなのか。
「そうですね。世界の野球に接してみて、ウ〜ン、通用するとは言い切れないけど、やってみても楽しいんじゃないかなとの思いはありました。
 アメリカやキューバのバッターとも対戦しましたが、パワーでは日本の選手たちよりも上でしょう。キューバはチーム全員がフルスイングで向かってくる。投げていてやり甲斐があると感じたのは事実ですね」
 ストレートの最速は156キロ。これにスライダー、カーブ、そしてフォークが加わる。
 メジャーリーガーを目指すにあたっての課題は何か?
「これはキャッチャーからも言われていますが、変化球でストライクが欲しい時にはきっちりとる。逆にボールにする時にはキャッチャーが要求するコースにきっちり投げる。変化球が入らないとストレートを狙われるので真っすぐよりも変化球でストライクを取る練習を重点的にやっています」

 監督の大久保は元日本代表のキャッチャーで“ミスター五輪”と呼ばれた杉浦正則とバッテリーを組んでいた。
 杉浦は再三、プロから誘われながら「打倒キューバ」を目標にアマチュアの世界に骨を埋めた。一方の大久保はプロに進み、近鉄で3年間プレーした。
 アマ、プロの一線級のボールに接してきた大久保の目に田澤のボールはどう映っているのか。
「たとえば杉浦さんと比べた場合、コントロールは杉浦さんの方が上ですね。しかしストレートは田澤の方が速い。あとフォークがありますから、三振が取れる。ボール自体はプロのブルペンに入っても見劣りしないと思います。
 田澤の魅力はまだ完成していないところ。今すぐ松坂君(大輔、レッドソックス)のような活躍をしろと言われても無理ですが、日本よりも進んでいるといわれるアメリカのトレーニングで鍛えられれば将来的には160キロ台が出せるかもしれない。それくらいの逸材ですよ」

 クールな大器に最後に訊いてみた。
――英語は大丈夫?
「いえ、全然」
 このあたりも昔の野茂と似ている。
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