二宮: 荻原さんとは昨年11月に埼玉でのフォーラムでお会いして以来ですね。今日は「那由多(なゆた)の刻(とき)」をいただきつつ、語り合いたいと思っています。
荻原: 今日はお酒を飲みながら話ができると聞いて楽しみにしていました。肩苦しい話はしなくてよさそうですね(笑)。


 晩酌しながらラジオ生電話?

二宮: この前は「那由多(なゆた)の刻(とき)」を田中雅美さんと2人で1本空けちゃったんです。それくらいおいしかった。普段はどんなお酒を?
荻原: ビールにワイン、焼酎を主に飲みますね。香りが豊かでコクがあって、味わいが深いタイプかな。でも、そうやってお酒をしみじみと味わえるようになったのは引退してからですね。

二宮: 現役時代はあまり飲めなかったと?
荻原: 好きでしたけど、シーズン中に試合が重なると、なかなかお酒を飲む気分にはなれませんでしたね。だって、遠征続きで、試合が終わったら荷物をまとめて次の場所に移動する生活でしたから。だからシーズンや合宿の終わりに、「じゃあ、みんなでちょっと一杯やろうか」という程度でした。

二宮: 外国の選手はどうですか?
荻原: みんなで一緒にクラブに行って、飲むこともありましたね。それでも試合が終わった後に楽しむ程度でしたよ。ヨーロッパの選手たちの飲み方は日本のそれとはちょっと違う。酔うことを目的にしている感じがします。日本は食事とともに、いろんなお酒を楽しむ文化がありますよね。でも海外、特に北欧に行くとウォッカみたいなアルコール度数の高いお酒をガーッと飲む。夜が寒いので、アルコールで体を温めることを一番にしている感じです。

二宮: 日本のようにうまい肴をいただきながら、日本酒や焼酎を楽しむという発想はないと?
荻原: はい。夕食は夕食で摂って、その後、クラブに行って飲む。そんな飲み方です。そんな光景を見ると、お酒を楽しめる日本人で良かったと思いましたね。たまに海外の日本料理屋で出る日本酒はおいしかったんですけど、高いからそんなに頻繁には飲めない。日本酒から焼酎、ビールにワイン……こんなに多種多様なお酒が手頃な値段で味わえる国は日本以外にないのではないでしょうか。

二宮: じゃあ、引退してからは、お酒はほぼ毎日?
荻原: 毎晩、晩酌しています(笑)。独身時代は毎晩、飲み歩いていましたけど、結婚してからは完全に家飲みです。

二宮: それは奥さんが怖いから?(笑)
荻原: そういうわけじゃないですよ(笑)。家で飲むほうが安上がりだし、好きなものも食べられる。娘もいるので、家にいるほうが心が落ち着くんです。

二宮: その点は家族を持って、若い頃から変化したと?
荻原: いや、もともと家にいるのは好きなんですよ。子供の頃から団体スポーツになじめなくて、スキーも個人競技だったせいか、大勢でわいわい騒ぐのはどちらかといえば苦手。健司と一緒に出かけたのもたまにしかありませんし、少人数でしっぽり飲むほうが好きですね。ひとりの時はお酒を飲みながら部屋でラジオを聞いていましたよ。

二宮: それだけ聞くと引きこもりの生活みたいですね(苦笑)。
荻原: それで生放送のラジオにリクエストをするのが楽しいんです。マネジャーの名前を借りて、「新宿区の〇〇さんからのリクエストです」と曲がかかったり、生電話がかかってきたこともあります。

二宮: そんなことしたら、声でバレませんか?
荻原: そうでもないですよ。「趣味はスキーで、学生時代ちょっとやっていました」とか言っても気づかれない。それで昔から好きな黒人のHIPHOPをリクエストする。何か仕事抜きで“ボランティア活動”しているみたいで気持ちがいいんですよ(笑)。

 ゴールはススキノ!?

二宮: 気づけば、もうグラスが空いています。「那由多(なゆた)の刻(とき)」、もう1杯いかがですか?
荻原: これ、おいしいですね。そばはあまり飲んだことがないんですけど、とても気に入りました。ところで那由多って、どういう意味ですか?

二宮: 数字の単位で兆や京よりも、はるかに大きい天文学的な数字を指します。永い時を刻んだ商品、これから刻む永遠の美味という意味で名付けられたそうです。
荻原: そんな単位があるとは初めて知りました。焼酎というよりウイスキーやブランデーっぽい味わいですね。まさに樽から出してきた深い味がする。目をつぶって飲むと焼酎だとは分からないですよ。大人のお酒って感じかな。本当にうまいです。

二宮: 他にお酒にまつわるエピソードはありますか?
荻原: 僕の現役時代は、毎年のように札幌でワールドカップがありましたから、試合が終わってススキノに行くのがひとつの楽しみでした。ある時、記者に「荻原さん、この札幌大会の目標は何ですか?」って聞かれたので、冗談で「やっぱり僕のゴールはススキノですよ。気持ちよくススキノに行けるように頑張ります」って答えたんです(笑)。そしたら、翌日のスポーツ紙の見出しが、「次晴、ゴールはススキノ」(笑)。健司にかなり叱られましたね。

二宮: 今の話を聞いても分かるように、世間ではお兄さんの健司さんはおとなしくてまじめ。弟の次晴さんは明るくてやんちゃなイメージがある。実際のところはどうなんでしょう?
荻原: いやいや。小さい頃は健司が悪いことしたのに、間違って僕が職員室に呼ばれることがよくありましたよ(笑)。健司は国会議員にもなったので、まじめなタイプと思われているかもしれませんが、全く逆です。健司のほうがイタズラ好きでオヤジから呼び出されて叱られていましたから。僕のほうは兄の振り見て我が振り直せ。案外おとなしい子供だったんですよ

二宮: 双子だからといって、性格まで一緒とは限らないと?
荻原: 似てはいますけどね。健司の場合は金メダリストになって、金メダリストとして振る舞わなければいけなかった。そして政治家になって、政治家然としている必要があった。それで知らず知らずのうちに自分を抑えていった面はありますね。

 ジャンプに役立った器械体操

二宮: 健司さんがアルベールビル五輪で複合チームの一員として金メダルを獲って有名になってからは、よく間違えられたそうですね。
荻原: アルベールビルから、僕が長野五輪に出るまでの6年間は、どこに行っても“健司さん”と声をかけられました。その期間はめちゃくちゃ長く感じましたよ。最初は“健司さん、金メダルおめでとう”で、しばらくすると、“健司さん、次のオリンピックも頼みますよ”と……。

二宮: 次晴さんも同じ競技で世界を目指すアスリート。気分は複雑だったでしょう。
荻原: 複雑というか、もうイヤでした。どこに行っても荻原健司のフリをしないといけない。もちろん間違える人には悪気はないんですよ。だって、パッと見は見分けはつかないでしょうから。でも、僕にとっては“じゃあ、オレは何なんだ”という葛藤がある。今でも、よく間違えられますよ。イベントに出ても間違って紹介されないかいつも心配です(笑)。やはり世間的には「荻原=健司」という印象が強いのか、「今日は荻原さんに来ていただきました。荻原健司さんです!」と言われることがたまにある(苦笑)。

二宮: でも、そこで「いや、次晴です」といきなり否定するのも気が引ける……。
荻原: そうなんです。やんわりと訂正しても、紹介した方に恥をかかせることになる。でも、ここにいるのは健司ではなく次晴。どう振る舞えばいいかは本当に難しいです。ただ、もう今ではそれにも慣れましたね。ある時から「健司さん」って街中で声をかけられたら、健司のフリをしています。「健司さん、サイン下さい」って言われたら健司のサインを書く(笑)。それが一番ラクだと気がついたんです。

二宮: 大人の対応ですね。
荻原: せっかく声をかけてくれた人をガッカリさせたり、恥をかかせるくらいなら、健司のフリをしてパッとサインを書いちゃった方が、その人も幸せですから。

二宮: でも、名前も不思議な組み合わせですよね。お兄さんは健司さんなのに、弟は次晴さん。普通、健司だったら、△司や健△という名前になりそうですが。
荻原: その理由は僕も分からないんです。弟のイメージがあるせいか、荻原“次郎”さんと間違えられることもある(苦笑)。幸か不幸か、41年間生きてきて同じ名前に出会ったことがない。講演や本でも名前を利用させてもらって、「次に晴れればそれでいい」というタイトルをつけさせてもらっています。

二宮: 荻原さんは草津の出身ですから、気づけば兄弟揃ってスキー板を履いていたと?
荻原: そうですね。でも、習い事として最初にやっていたのは器械体操です。小学校1年生から5年生までやっていました。最初は姉が通っていて、その影響で始めました。

二宮: 荻原兄弟といえば、全国的には健司さん、次晴さんの印象が強いですが、地元ではお姉さんも有名だったそうですね。
荻原: はい。姉が3人いて、そのうち2人は中学の時、クロスカントリーの全国大会で優勝しています。荻原家の血筋は瞬発系よりも持久系に強いみたいです。

二宮: 複合に取り組んだきっかけは?
荻原: ジャンプをやっていても北海道の選手に勝てなかったからです。同世代には1つ上に原田雅彦さん、1つ下に岡部孝信がいました。後に日本のトップになる連中がわんさかいて、大会に出てもダントツで飛んでしまう。当時は彼らがすごく大人に見えました。

二宮: それで自分から望んで転向したと?
荻原: 最初はイヤイヤです。「なんでクロスカントリーなんてキツイ種目もやらなきゃいけないんだ」と。でもマイナー競技だけに、やってみると結果が出る。中学3年生の時には全国大会で健司が1位、僕が2位。ジュニアの日本代表にも選ばれました。それで何となく「本格的に続けることになるんだろうな」と感じましたね。今になって思えば、早くから“隙間産業”に進んで良かったと思っています。

二宮: 体操の経験が役立ったことは?
荻原: 鉄棒の上でぐるぐる回ったり、トランポリンやマットの上で宙返りするうちに空中感覚がつかめる。ジャンプで空中に飛び上がった際に、自分の体がどうなっているのか、なんとなく理解できるんです。空中でバランスを崩しても、自分の体がどの位置にあるのか分かるから、うまく受け身をとりやすい。もうひとつ役立ったのは体の柔軟性ですね。ジャンプを始めた頃は、健司ともどもヘタクソでよく転倒しましたけど、体が柔らかったせいで大きなケガをしなかった。僕は途中で引退しましたが、健司は30歳を過ぎても現役を張れた。誰よりもケガをしなかったおかげで、長く競技を続けられたんじゃないでしょうか。

(後編につづく)

<荻原次晴(おぎわら・つぎはる)プロフィール>
1969年12月20日、群馬県生まれ。幼少の頃から双子の兄・健司とともにスキーを始め、2人で切磋琢磨し、ノルディック複合で日本を代表する選手となる。1994年からワールドカップに参戦。95年の世界選手権では団体の金メダルに貢献。98年長野五輪では個人6位、団体5位といずれも入賞を果たす。長野五輪終了後、引退を表明。ウインタースポーツ普及をライフワークとし、スポーツキャスターとしてのメディア出演や講演活動などを行っている。また、選手経験を活かし、ノルディックのツアーを自らプロデュース。その楽しさを伝えている。オリンピックデーランのアンバサダー、日本ノルディックフィットネス協会のアンバサダーとしても活動中。



★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

長期に渡り、樫樽の中で貯蔵熟成した長期貯蔵の本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」。豊かな香りとまろやかなコクの深い味わいが特徴。国際的な品評会「モンドセレクション」2011年最高金賞(GRAND GOLD MEDAL)受賞。

提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
harden-tighten(ハーデンタイテン)青山
東京都港区南青山1−15−3 ペガサスビル2F
TEL:03-3479-3786
営業時間:
11:30〜15:00(L.O.14:30) 
18:00〜03:00(L.O.02:00)月〜金  
18:00〜24:00(L.O.23:00)土・祝

☆プレゼント☆
荻原次晴さんの直筆サイン色紙を長期貯蔵本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」(720ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「荻原さんのサイン色紙希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、荻原次晴さんと楽しんだお酒の名前は?




 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)
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