「デブでも“動けるデブ”と“動けないデブ”がいるんです」
 おもしろいことを言う人だなぁ、と思った。
 言葉の主は東京ヤクルト監督の小川淳司だ。

 失礼ながら“動けないデブ”と酷評されたのは現在、4番を打つ畠山和洋。一方、“動けるデブ”は埼玉西武の4番“おかわり君”こと中村剛也。
「僕は2軍監督を9年やったんですが、その時に(イースタンリーグで)畠山とおかわり君、両方見ているんです。おかわり君も太っていたけど、彼はサードでよく動いていた。
 といって畠山が下手なわけじゃないんです。ファーストをやっていたんですがグラブのハンドリングとかはうまいんです。だが動けない。そこはおかわり君とは違っていましたね」

 バッティングには見るものがあったが守る場所がなかった。前監督の高田繁も起用には苦労していた。
「3年前のことです。“畠山、守備は大丈夫か?”と高田さんが僕に聞くものだから“守備範囲は広くないし、うまいとはいえない。しかしボールを捕ればなんとかファーストには放れます”と答えた。
 ところがサードで先発出場した試合で、畠山はいきなり暴投してしまった。それから高田さんは使わなくなった。“ヘッドコーチ(小川)が大丈夫というから使ったら、暴投だよ”とそれから随分、皮肉を言われました(笑)」

 その高田が休養、ヘッドコーチだった小川が指揮を執るようになったのが昨年5月27日から。この頃のヤクルトは中軸が機能せず貧打に泣いていた。
「守りには目をつぶってでも打てる人を優先に打線を組まなければならない。幸いジョシュ・ホワイトセルという外国人が入ってきた。彼を4番にして前後を誰に任せるか。ひとりを飯原誉士、そしてもうひとりを畠山にしたんです。ポジションは2軍時代に1年間だけやらせていたレフト。彼は随分、チームの得点力アップに貢献してくれました」
 小川は就任時に19もあった借金を完済し、シーズン終了時には4つの貯金を残した。この奇跡のV字回復の立役者のひとりが畠山であった。
 昨季の畠山の成績は93試合の出場ながら打率3割、14本塁打、57打点。打率と本塁打はキャリアハイをマークした。

 そして迎えた今季、畠山は開幕5試合目から4番に座り、5月11日現在、打率3割6分8厘(2位)、6本塁打(2位)、17打点(2位)と上々の滑り出しだ。
 かつては“動けないデブ”と呼ばれた畠山だが今季は小川の命令もあって体を絞り、躍動感あふれるプレーを見せている。
 ヤクルトといえば大杉勝男(故人)、広澤克実など重量級の4番打者が思い出される。彼らが活躍したシーズン、チームはリーグ優勝や日本一を達成している。
 プロ11年目の28歳。大器晩成型のスラッガーと私は見ている。

<この原稿は2011年5月29日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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