第807回 掛布雅之の「殿堂入り」を悦ぶ
現役時代、“ミスタータイガース”と呼ばれた掛布雅之がエキスパート表彰で、念願の野球殿堂入りを果たした。
<この原稿は2025年2月10日号『週刊大衆』に掲載されました>
エキスパート表彰の対象者は<監督、コーチを退任後6カ月経過している者、又は21年以上前にプロ野球の現役を引退した者>。掛布は、プレーヤー表彰では選出されなかったが、2016年、17年に阪神の2軍監督を務めたことで、エキスパート表彰での資格を回復した。
選出方式は次の通り。
<殿堂入りした者、競技者表彰委員会の幹事と野球報道年数30年以上の経験を持つ委員が投票。75%以上獲得した者が殿堂入りとなる>
掛布は19年に候補入りし、75%の投票に、一昨年は14票、昨年は2票足りなかった。
殿堂入りの通知式で、掛布は「テスト生で阪神に入団した僕が、こういう記者会見を開くとは思ってもみなかった。びっくりしている」と語ったが、心の中では「今年こそ」と期するものがあったのではないか。
また掛布は、「阪神の4番像は、僕にとっては田淵幸一。チームの負けを背負ってきた」と語っていた。
チームの負けを背負う――。
これは掛布が、かねて主張してきた「4番の条件」である。
田淵が打てないから負けた。掛布が打てないから負けた――。4番とは、ファンの批判の矢面に立つ存在であり、同じクリーンアップでも、3番や5番とは決定的に違うのだと、掛布は語っていた。
もともと掛布は、アベレージヒッターだった。ところが79年に田淵が西武にトレードされたことにより、ホームラン打者への転身をはかる。「田淵さんがいなくなり、ファンが僕にホームランを求め始めた」ことが、きっかけだった。そして、その年、48本塁打で、自身初のホームラン王に輝くのだ。
「負け試合でも“掛布のホームランが見られてよかった”と少しは納得して家路につくファンがいてくれればいいなと……」
あの時代、甲子園にはホームランが必要だったのである。