NBAで一時代を築いたシャキール・オニールが今季限りで引退した。2mをはるかに超える恵まれた体格を生かし、92年にプロ入り。オーランド・マジックから96年に名門ロサンゼルス・レーカーズへ移籍すると、99-00シーズンからのファイナル3連覇に貢献。その後4球団を渡り歩いた。19シーズンの現役生活で積み上げた得点は28596点にものぼる。これはマイケル・ジョーダン、ウィルト・チェンバレンら名だたるスーパースターに次ぐ歴代5位の記録だ。
 豪快なダンクでファンを魅了したシャックのプレースタイルを、02年の原稿で振り返ろう。
<この原稿は2002年の『英雄神話』に掲載されたものです>

「ヤツを封じ込めるのは、それほど難しいことではない。アキーム・オラジュワン、デビッド・ロビンソンのようなテクニックを持ち合わせてはいない。それに彼らに比べると感情の起伏も激しい。それが彼の欠点だよ」
 かつて、そう話したのは当時、マイアミ・ヒートでヘッドコーチを務めていたパット・ライリーだ。そして「ヤツ」とはシャックことシャキール・オニールのことである。
 ライリーの言葉は辛辣だが的を射ていた。

 シャックは92年、ドラフト1巡目1位指名を受け、ルイジアナ大からオーランド・マジックに入団した。ゴールデン・ルーキーとして破格の待遇を受けてコートに立った彼のプレーは何から何まで衝撃的であった。
 ルーキーシーズン第1週目のリーグMVPに選ばれ、2度にわたってバックボードを破壊した。その凄まじいまでのダンクは“シャック・アタック”と呼ばれたりもした。
 身長216センチ、体重136キロ。この圧倒的な体躯から生み出されるパワーは凄まじく、ポスト下での強さは群を抜いていた。
 しかし、かつてはその風貌に似合わぬ勝負弱さが“玉に傷”だった。素晴らしいプレーヤーではあっても、信頼のおけるプレーヤーではない――。そんな評価を口にする者もいた。
 ベースボールにたとえていえば、打率も打点もホームランも稼ぐ押しも押されもしない主砲だが、その数字がどれだけチームの勝利に貢献しているか、といえば、数字ほどではない。そんなイメージがぬぐえなかった。

 ポスト下にいるシャックにボールが渡る。シュート体勢に入ったところで、相手ディフェンスはすかさずファウル。当然、シャックには2つのフリースローが与えられる。
 ところが、このフリースローが、なぜかシャックは大の苦手なのだ。そのことは本人はもとよりチームメイトもファンも、いやNBAに興味のあるアメリカの国民なら誰でも知っている。
 場内に「またはずすのではないか……」との不穏な空気が充満する。それはそのままシャックに伝染する。案の定、シャックの放ったシュートはリングに嫌われてしまう。「やっぱりな」とファンは天を仰ぐ。
 平均すると8割以上は成功するはずのフリースローが、シャックの場合、95年に限ってみると成功率は5割にも満たなかった。2回に1回しか入らないのだから、これは困ったものである。
「ハック ア シャック!」(ファウルしてシュートさせるな)
 これが合い言葉になった時期もある。
 ファウルを受けて得たフリースローをことごとくはずすと、シャックじゃなくてもイライラするだろう。イライラが募れば、自ずとファウルを犯す回数も増えてくる。悪循環だ。その数が6に達するとファウルアウト(退場)を余儀なくされてしまう。そんな相手チームの罠に、シャックは何度となくはまってしまった。

 しかし、それももう過去の話だ。黄色いロサンゼルス・レーカーズのジャージに身を包む今の彼に死角は見当たらない。いや、ひとつだけある。それはシーズンを通してのフリースロー成功率が、相変わらずの5割台に低迷していることだ。それでも重要な場面でスローをはずす確率は以前に比べると随分減った。
 テクニック的な成長も見逃せない。ダンクのみならず、シュートを放てるゾーンは確実に広がっている。それは5年連続でフィールドゴール成功率1位のタイトルを獲得したことに表れている。
「成長した? 当たり前だよ。NBAに入って何年目だと思っているんだい? でも実はそのことは自分でも、ここ2、3年近く感じるようになったんだ。それは(監督の)フィル・ジャクソンによるところが大きいかもしれない」

 フィル・ジャクソン――かつてシカゴ・ブルズを2度にわたり3ピート(3連覇)に導いた名ヘッドコーチ。彼が就任して以降、レーカーズは甦り、NBAチャンピオンの座に12年ぶりに返り咲いた。01-02シーズンのファイナルではニュージャージー・ネッツを史上7度目となるスイープ(4戦全勝)で下し、3年連続通算14度目の王座に就いた。そしてシャックは3年連続でMVPに輝いたのだ。
 優勝を決めた敵地の会場コンチネンタル・エアライン・アリーナはニュージャージー州にある。ここはシャックの生まれ故郷だ。
 ヒーローインタビューを受ける彼の傍には、子供の頃にバスケットボールを教えてくれた父親がいた。
「All my dream have come true.(夢はすべてかなった)」
 珍しく目に涙を浮かべながらシャックは言った。
 僭越ながら、そのセリフを口にするのはまだ早い。どうせならマイケル・ジョーダンも達成していない4連覇を達成してから口にして欲しい。
 今のシャックに不可能の文字はない。
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