森保一監督が「最高の景色」を目標に掲げる理由
サッカー日本代表が8大会連続となる2026年北中米ワールドカップ出場を決めた夜、森保一監督は一枚のタオルを手に、カメラマンたちの前に立っていた。
白とブルーを下地にしたタオルにはこう書かれてあった。
「最高の景色を 2026 FOR OUR GREATEST STAGE」
森保ジャパンが監督はじめ選手たちも口にしてきたワールドカップ優勝を、日本代表の合言葉としてJFAが採用してこの機に合わせて発表したという次第だ。「最高の景色を」、は元々指揮官が使っているフレーズである。
バーレーン戦後の記者会見でこのことを尋ねられた森保監督はこのように述べている。
「最高の景色と聞かれて、自分のなかの想像はやはりワールドカップでトロフィーをキャプテンが掲げているシーンがイメージできるかなと思いますし、ワールドカップ決勝の舞台で日本が戦っているところをイメージしたいと思っています。JFAが発表してくれたということで、実現できるようにしたいなと思っていますし、実現するために何ができるかを考えていきたい。映像(JFA TV)でも多分残っていると思うんですが、私はカタールのワールドカップで最後に、まだ北中米ワールドカップで監督をやると決まってないときに、選手たちに投げかけた言葉が『最高の景色を目指して戦っていく。そうすればもっとより成長が得られる』というような趣旨の話をしました。JFAの皆さんとも、同じ思いを共有できて、我々にとってやりがいのあるキャッチフレーズになっているかなと思います」
前回のカタール大会において日本はドイツ代表、スペイン代表というワールドカップ優勝経験国を撃破。ラウンド16では2018年ロシアワールドカップ準優勝のクロアチア代表と同点のまま120分間を終え、PK戦の末に敗れている。最後の円陣で森保監督は「最高の景色を目指していけば必ず歴史が変わる。この悔しさを胸に刻んで次、やっていく。みんなでやっていく」と選手たちに熱っぽく訴えていた。最高の景色を目指さないと、ラウンド16の壁を突破できない歴史も変わらない。筆者はそう解釈した。
筆者がこのフレーズを本人から直接聞いたのは、続投が発表されて〝第2次体制〟が始動する前のインタビューである。
指揮官の口調はこのときも熱かった。
「ドイツ、スペインに勝てたことは我々がやったというよりも日本サッカーが積み上げてきた歴史の一部という認識です。JFAには2050年までにワールドカップで優勝するという目標がある。私自身、何となく続けていくという姿勢であってはいけません。ここからさらに上積みしていけよ、とのメッセージだと受け取っています。
2050年までに優勝することを本気でイメージしたうえで取り組まなくちゃいけません。アルゼンチンとフランスが(決勝戦で)戦ったあの舞台こそが最高の景色。7戦目(北中米大会から8戦目)となる決勝の舞台で100%を発揮できるだけの組織づくり、チームづくりをしていかなければならないと考えています」
決勝まで持っていくには、層を厚くしなければならない。戦術の幅を広げ、深めていかなければならない。個々のレベルを引き上げていかなければならない。その思いがチームに共有されているからこそ、アジア最終予選を日本サッカー史上最速で突破できたと言えるのではあるまいか。
今までベスト8も進出したことのない国が、それを飛び越えて優勝を口にするなんて――。そう思う人もいるだろう。ただ「日本サッカーが積み上げてきた歴史」に照らし合わせてみれば、岡田武史監督が2010年の南アフリカワールドカップにおいてベスト4を目標に掲げている。現実味がないとばかりに冷ややかな視線を集めていたものの、結果的にパラグアイ代表とのラウンド16はPK戦までもつれ込んだ。ここを突破していれば、ベスト4にリーチが掛かっていたのだ。
アジア最終予選の最中に、筆者は指揮官にこの目標を掲げる真意をぶつけたことがある。彼はこう語った。
「僕も、ベスト4に入ったことはない。ただ、僕はいろんな試合を見たり、年齢とともに経験を積んだりしているから、ベスト4っていうのはこれぐらいじゃなきゃいけないな、という想定が僕のなかにある。そこにたどりつくためにはもっと質を上げなきゃいけないし、精度を上げていかなきゃいけない。今のままじゃ無理だと選手には言っている。これは僕のあくまで想定。たとえば本当にベスト4に入るチームと試合をしてみたときに、なるほどなって分かると思うんですよ。僕の想定って当たっていると思うから。そういう意味でより選手に実感を持って練習に取り組んでもらうためにも、自信を持ってもらうためにも、強いチームと試合をしたい。それはボロボロにやられようが何しようが何試合でもやりたい」
高い目標設定があるから現状に満足せず、強くなれる。
本大会まであと1年強。森保監督率いる日本代表は最高の景色に向かって、突き進むだけである。