PK戦になると、やにわに姿を消すサッカーの監督には驚いたが、自軍の試合を一切見ない野球のGMがいると知った時の衝撃はそれ以上だった。
 その理由が振るっていた。
「自軍のプレーを生で見てしまったら、つい頭に血がのぼって、野球科学を忘れてしまいかねない」。その男にとって野球は「フィールド・オブ・ドリームズ」のような感傷的なものではなく、すぐれて確率的かつ計略的なものなのだ。
 男の名前はビリー・ビーン。オークランド・アスレチックスのGMだ。米国でベストセラーになった「マネー・ボール」(マイケル・ルイス著)の主人公である。
「米国で評判になっているメジャーリーグ関連の本がある。非常に面白い。翻訳して日本で出版するに際し、解説をお願いしたい」。ランダムハウス講談社から依頼を受けたのは8年前のことだ。

 アスレチックスの2000年代前半の躍進はビーンの手腕によるところが大だった。なにしろヤンキースの約3分の1の年俸総額でほぼ同等の成績を収めていたのだ。
 著者によれば近代的に映るメジャーリーグでも「プロ野球をやる人々の王国と、プロ野球について考える人々の共和国」の対立は抜き差しならないものがあった。私見を述べれば「王国」が主観で成立するのに対し「共和国」は客観で成立する。思い込みはウソをつくが数字はウソをつかない。問題はどの数字を金庫にしまい、どの数字をクズカゴに捨てるかだ。

 たとえばドラフトやトレードで野手を探すにあたり、ビーンが何よりも重視したのは「出塁率」だった。打率よりも出塁率という考え方は非常に斬新だった。その一方でアウトのリスクが3割にのぼる盗塁はチーム戦術から除外した。走らない運動選手集団(アスレチックス)。ビーンはこれまでの球界の常識を一変させた。

 しかし、有為転変するスポーツの世界において、「永遠の法則」など存在しない。07年には9年ぶりに負け越し、09年には11年ぶりに地区最下位に転落した。それに伴い、戦術も変更を余儀なくされた。05年には、わずか31だった盗塁数が昨季は156にまで伸びた。ビーンは変節したのか、それとも次なるフロンティアを探っているのか……。
 この秋、本と同名タイトルの映画が国内でも公開される。気になるアスレチックスの順位はア・リーグ西地区の3位。プレーオフ進出の可能性は既にない。

<この原稿は11年9月14日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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