「キャッチャーは現場の指揮官」。ノムさんこと野村克也の口ぐせである。ノムさん流に言えば、キャッチャーは現役時代から監督の見習いをやっているようなものだ。
 キャッチャーの仕事はピッチャーをリードするばかりでなく、守りのフォーメーションを指示し、バッターの狙い球を読み、相手ベンチの出方を探る――。まさに「現場の指揮官」である。

 キャッチャー出身者に名将が多いのは、こうした理由によるのだろう。リーグ優勝5回、日本一3回のノムさんを始め、リーグ優勝8回、日本一6回の森祇晶、リーグ優勝5回、日本一3回の上田利治。3人とも既に野球殿堂入りを果たしている。
 現役のキャッチャー出身監督と言えば北海道日本ハムの梨田昌孝だが、先頃、今季限りでの退任を発表した。本人によれば「今年は最初から1年限り」と決めていたのだそうだ。
 まだ名将の域には達していないが、梨田も評価の高い監督である。01年に近鉄でリーグ優勝を果たし、日本ハムでは就任2年目の09年にパ・リーグを制した。
 梨田の采配には安定感がある。キャッチャー出身だけあって野球の本質をよく理解しており、首をかしげるような采配が少ない。その意味では欠点の少ない指揮官と言えよう。

 メディアやファンとの関係もおおむね良好だ。負けが込むと記者会見を取り止める監督もいるが、梨田に限ってそういうことはない。喜怒哀楽を表に出さず、常に感情を柔和なマスクの中にしまい込んでいる。実はこれも監督しては大事な能力のひとつである。
 公式の場はもちろん、非公式の場においても梨田が選手を一方的に批判している場面は記憶にない。生来の性格もあるのだろうが、選手の立場を重んじる姿はメジャーリーグの監督に通じるところがある。
 中には「ノムさんのように、もっと個性を出したらいいのに……」という声もあるが、ある意味、ボヤキはノムさんの専売特許、他の監督があれをやったら、チームは空中分解を免れないだろう。
 梨田はどんな時でも自分の立ち位置、足元を見失わない。勝っても負けても淡々としている。いずれは名将と呼ばれる日が来ると思っていただけに、突然の退陣表明は残念だ。

 しかし、監督業に情熱を失ったということではなさそうだ。本人も「少しゆっくりし、違う角度から野球を見てみたい」と語っている。何年かの充電生活の後、再びユニホームに袖を通すことになるのではないか。
 早くもネット裏からは「2013年に開催予定の第3回WBCにおける日本代表監督に適任では?」との声も上がっている。現時点でNPBとプロ野球選手会は参加するかどうか態度を保留しているが、もし出場することになれば、間違いなく梨田は有力な監督候補のひとりになるだろう。
 ひとまず来年は解説者として古巣のNHKに戻るのか。あの誠実な語り口はNHK向きである。

<この原稿は2011年10月9日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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